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第390号:期末試験答案とエントリーシートの共通点-4

新年おめでとうございます。年末から各大学で卒論提出時期となり、私学では間もなく期末試験も始まります。昔から日本の大学は出るのが楽だと言われますが、卒論はその象徴かもしれません。日本と世界では大学を見る社会背景が異なりますし、大衆化が進む日本の大学の現状は全否定しませんが、最高学府(久しく聴かなくなってきた言葉です)としての文書を書く「基本」はしっかりして欲しいと思います。

 私がレポートや論文の「基本中の基本」として授業で伝えていることは、以下の3点です。これまで何度か書いた、エントリーシートの書き方採点基準と同様です。

事実と意見と客観性
大学業界(笑)では「お作法」と言われますが、学部ではレポートでも論文でも、「事実」を分析して「意見」を展開する。その「事実」は出来る限り客観性を帯びていること。自らの体験は論文の問題意識にするのは良いですが、それだけで論じては自己流になってしまいます。こうした「作法の基本中の基本」論文と呼ぶ限りは整っていて欲しいものです。もっと具体的にいうと「数字」と「固有名詞」を必ず使うことです。

他者評価
そもそもレポートも論文も、自分ために書くのではなく、他者に見て貰うためのものです。社会に提言する意識で書くものであって、恥ずかしくて見せられない、という程度の文章ならNGです。しかしながら、他者評価を意識していない(具体的に言うと先行研究の調査をしていない)学生ほど、独善的な「自分らしさ」に傾きます。これは初中等教育で、相対評価を受けてこなかったからかもしれません。


独創性
論文の正統的な教本には「独創性」が求められると書いてありますが、これに囚われすぎると却って書けなくなります。そもそも今の学問はどんどん知見が増えて分野の裾野の広すぎるので、学部生では革新的な提言は難しいでしょう。「独創性」を意識することは大事ですが、その程度については気負いすぎるとまた自己流(独善性)になります。それには、上述の先行研究(就活なら他者の自己PR内容)に当たってみれば、独創性がわかってきます。逆に、他者を見ると独創性(自分らしさ)が出なくなると考える学生が多いように見えます。

という訳で、良い論文を書きたい気持ちは分かりますが、まずは運転の上手いドライバーではなく、交通ルールを守って安全運転ができるドライバーになれば良いと思います。学部の卒論はA級ライセンスではなく単なる運転免許で、路上(社会)に出てから上手い運転ができるようになれば良いのです。

就活のエントリーシートも、抜きんでて光るモノを目指すよりは、「この学生は基本はできているな、面接に呼んでみよう」と思われれば良いのですから。論文でもレポートでも原稿でも仕事でも、最高を目指したいけれど、現実にはがあり、未完成の意識でリリースすることが多いでしょう。でも、それはゴールではなく、スタート地点だと思えば踏ん切りもつくと思います。

第389号:体育会学生幹部への講演

平成最後の年の瀬、皆様お疲れさまでした。今年も大学を揺るがす様々な出来事がありましたが、私も体育会出身者だけにスポーツの不祥事が特に記憶に残っています。そんな年末、法政大学の体育会本部の学生から講演依頼がありました。新たに幹部になる学生(約100名)にリーダーシップについて話して欲しいということで、喜んで引き受けました。

今回の講話の趣旨は以下の通りです。

1.スポーツの価値が見直される時代(デジタル全盛時代の優位性)

2.アカデミック・アスリートのすすめ(学問と運動の融合)

3.コミュニケーション力(指導力と組織運営力)

4.組織を動かす実践知(部員のモラルを高める知見)

5.キャリアモデル(より高みを目指すために)

リーダーシップ論は、組織の長であるリーダー役割)の心得という旧来の視点から、リーダーシップ主体性・影響力)とは組織メンバー全員が持つべきもの、発揮するものとなってきています。しかもリーダーの役割やリーダーシップとは自然発生するものではなく、機会と努力があって開発されるものであるから、講演や研修で学ぶ必要があるのですね。これは企業でも全く同じです。

体育会の学生は、そうしたことを実戦の場で体験しているので、その持論を理論化するのは意外と楽です。多くの学生達が自分達の体験してきたことの意義に気付いておりました。それによって、彼らは自分自身の経験に自信を持ち、経験を言語化することによって他者を指導できるようになります。

更に、新幹部は3年生で就活も控えているので、以下のような体育会出身者が企業人事部に好まれる理由についても話しました。1年生から4年生までの組織だった運営経験は、企業での仕事の縮図であり、社会に出てから経験することを学生時代に経験しているのです。しかし、当の学生達がこれらに意外と気付いていなくて勿体ない点です。

1年時:組織のルール、協調性、行動の素直さ迅速さ

2年時:上級生の自覚と責任、後輩指導力

3年時:最前線の現場での判断力、行動力、達観力

4年時:組織統率力、モチベーション育成力、人生哲学

これまでの体育会は、好きな運動だけやっていれば良い、という風潮もありました。スポーツ推薦で入学し、プロ選手を目指している学生であっても、人生百年間、現役でスポーツ選手であり続けることはできません。今回、講演を依頼してきた体育会幹部の学生はこんなことを言っていました。

「尊敬していた有名選手の先輩が、引退してからガッカリするような人生を送っているのです。そうしたことにならないように、体育会学生達にはもっと学んで欲しい。」

とても素晴らしい視点ですね。学生自身が主体的にこうした発言と行動をとるのは、体育会学生のあるべき姿だと思います。オリンピックも近くなり、来年は体育会学生の良いニュースをたくさん知りたいものですね。末文になりますが、どうぞ皆様も良いお年をお迎え下さい。

第388号:大学教育と就職活動の悩ましい関係

前回は企業の囲い込みによる大学授業欠席の問題を書きましたが、やはり現実のものとなってしまいました。就活で企業のインターンシップ・内定者研修で出席不足になり、補講や補習を行っても、単位を出せない学生が数名、出始めたのです。学生の言い分で聞いているので、本当に企業に呼び出されているかは不明ですが、それを斟酌しても企業が平日の授業時間に大学生を呼び出す頻度や回数は年々増えており、この現象はますます増えると思われます。

そんな私のPBL型授業の一コマで、ゲストで招いた採用選考に関わるある企業役員がこんなことを言っていました。

「今の学生のエントリーシート面接スキルは凄いですね。対策がしっかりできている人が多くて驚きます。これは相当に考えて努力してきたんだなと思わされます。ただ、大学生活に余裕があるのかな?と心配にもなります。もうちょっと旅でもしてきたらと思います。」

この方は人事系の役員ではなく、決して皮肉で言っているわけではありません。役員面接に上がってくる学生ですから高評価なのは当然だとしても、現在の大学キャリアセンター就職支援サービスの発展の成果でしょう。これは現代の小中学校の教員より、学習塾個別指導家庭教師のスキルが上なのと同じです。ある小学生からはこんなことを聴いた事があります。

「授業でわからなかったら、学校の先生より塾の先生に聞きます。」

翻って大学授業を見直すと、小レポートリアクションペーパーの書き方は、就活をしてきた高学年の学生の方が良く書けます(低学年でもしっかり書ける子は、一般受験で入って来た子達です。彼らはここに来るはずではなかったと良く言います)。

大学授業ではアクティブラーニングが増え、リアクションペーパーを書かせるFD(教員の教育スキル向上のためのフィードバック)は盛んです。しかし、肝心のリアクションペーパーやレポートの書き方の教え方は不十分です(というかそこまでは人手不足で回らないのでしょう)。

教員は「教えているが学生が覚えていない」とよく言いますが、それは「わかる」と「できる」を混同しています。具体的に言えば、インプット教育はしていてもアウトプット教育は十分ではないということで、そこは学生の自主性が前提である旧来の大学生エリート時代の思考です。

そして、それを就職活動で学生が自主的にやって補完しているのだとしたら、アウトプット教育企業就職産業)が担っていることになりますが、それはあるべき大学教育・社会の姿でしょうか?

大学教員は「論文を書くことは社会で役に立つ」とも良く言います。拙論を書いた身としてそれは否定しませんが、卒論のような膨大な論文を書く機会・ニーズは企業でどれだけあるでしょう?長大な課題に取り組んだ達成感自己効力感は間違いなくありますが、実践的なスキルとしては割鶏牛刀と言えなくもありません。社会課題の解決を提唱する大学教員は多いです。しかし、大学教育のあり方が社会課題になってきていることに気付いている教員はどれだけいるのでしょうか?

 

第387号:学生囲い込みのシーズン

「企業のインターンシップが入りましたので、来週の授業を欠席します。」というメールが3年生から増えてきました。この時期、早期に学生を囲い込みたい企業の呼び出しが年々増加しています。複数の大学で教えていると、企業が一所懸命に囲い込む大学とそうでない大学がよくわかります。採用担当経験者として企業側の気持ちもわかりますが、「採用ルール」を新たに作るなら、同時に「採用倫理憲章」も設定して欲しいと思います。それは大学のためだけではなく、企業や社会のためでもあり、大学の課題でもあります。

私の授業では、どんな理由であろうと欠席を認めるのは2回までです。補講や補習の事前相談には乗るし個別対応も検討しますが、事後報告は基本的に認めません。中には「就活なので公休扱いをお願いします。」という学生もいますが、私が許容するのは、教職課程大学代表での試合等、大学の正規行事についてのみだけです。

企業の採用活動の「倫理憲章」がいつの間にか「採用ルール」という言葉にすり替わっていますね。日本を代表する企業群が、大学&大学生の学習環境や人権を守るために作ったはずの「倫理」がいつのまに、企業と学生の採用活動&就活の「利益・利便」の議論になっています。

以前から言い続けていることですが、企業として採用活動の新たな工夫や挑戦は自由な営利活動として当然ですが、その「利益」が「倫理」を蹂躙するのは納得できません。実際、私は採用担当者時代、経団連にも入っていない企業なのに律儀に倫理憲章時期を守っていました。周りからはプレッシャーをかけられていましたが、採用担当者の矜持というか自己満足ですね。しかし、その考えをある国立大学の就職担当教授に話したら、喜んでくれて学生を紹介してくれました。

一方で、大学側が社会・企業から軽視・無視されるような授業をいつまでもやっているのも明らかに問題です。やっているように見せている上手な広報や、形ばかりのキャリア教育など何の意味もありません。国の補助金採択をブランド化して自慢などせず、その予算はちゃんと「良い」授業のために投資に回すべきでしょう。本当に大学のブランド価値を上げるのは、卒業した学生の成果であるべきです。そのためには大学成績等も単なるGPA数値などではなく、個別能力の成果を示すべきです。それがなければ、学生自身も自分の長所・短所に気付けないし、企業も成績(大学の学業)を評価できません。

当面の私の授業の問題は、学生が抜けることによって計画しているPBL型グループワークに支障が出ることです。欠席した学生を切り捨てるのは簡単ですが、半端に出てこられる学生の対処は一番手間がかかります(何とか救済してやりたいので)。

ところで、企業インターンシップ担当者も教員と同じ気持ちになることがあります。時間と予算をかけて立案、募集、選抜して集めた学生が「その日は授業があるのでインターンシップを休みます。」とメールが来たりするんですよね。採用担当者も脱力感で一杯になります。

第386号:採用担当者が求める社会人能力としてのタテマエ

就職活動や採用活動において頻出する言葉に「タテマエ」と「ホンネ」がありますね。企業も学生も「タテマエ」ではなく「ホンネ」を知りたいと言いますが、「タテマエ」も見方によっては採用担当者が求める社会人としての「能力」になります。

先日の授業で、グループ討議の題材に「大学生の就職活動における一番の問題は?」と設定したところ、受講者の一人から以下のような意見が出されました。

自己分析就活もメソッドに囚われすぎで、もっと根本のホンネの問題だと思う。そのためには、まず企業が変わらなければならない。「企業も学生も仮面を被るな!」と言いたい。でも、現実的には学生が上手く対応するしかないかな?』

ホンネ」が好きで「自分らしさ」を貫きたい「青年の主張」としては理解出来ますが、社会で生きていくためには、状況に応じて自分の言動を切り替える「能力」が求められます。私自身、商社で営業をしてきたのでビジネス上の不合理には無数にぶつかって苦労してきました。例えば、お客さんから「俺は巨人ファンからしか買わない!」と言われたら「奇遇ですね!私も巨人が好きです!」と回答するとか。ホンネでは当時の中日ファンでアンチ巨人だったので、心の中では「巨人が好きなのは嘘ではない、でも中日と比べたら比較にならない」と呟きながら。

社会人の能力としてこのような「タテマエ」が求められるというのは、仕事で求められているのは「本当(ホンネ)の自分」ではなく、その「企業の社会人」としての言動だからです。仕事をする上でその場の状況に応じて自分自身の言動を切り替えられる「能力」です。これは誰でも自然にやっていることで、大学や企業で振る舞う自分と、家族と過ごす自分は言動が異なるはずです。上述の学生のいう「仮面」は「社交辞令」とか「相手への配慮」と考えたらだいぶ見方も変わると思います。

また「メソッドに囚われすぎ」というのは、学生が就職セミナーで型にはまった自己PRをすることに嫌悪感を抱いているようです。確かに採用担当者にとっても一番辛いのは、同じような自己PRやエピソードを何度も聴かされることです(これは本当に辛いです)。確かにこれだけで終わっては最終的に内定まで至らないでしょうが、それを「基本」の話し方の確認と考えるなら、一つの「能力」として評価できます。「結論を先に話す」という型にはまったメソッドを否定する人は少ないでしょう。

ということで、学生には二項対立の論理だけではなく、どちらも状況に応じて正解になりえるという思考力行動力も身につけて欲しいと思います。そうした能力を身につけることは、学問で言えば文化人類学者の目線を得ることで、感情ではなく理性で言動をコントロールすることです。「私はよく頑張っているなあ」と自分自身を客観的に見る「メタ認知能力」を得ることです。こうした人材なら、ストレスばかりの社会においても鬱にならず、また他者への配慮ができると思います。

第385号:医学部不正入試と学歴フィルター

2018年は大学にとって歴史に残る試練の始まりの年になりそうですね。18歳人口減少問題に始まり、運動部関係の各種事件、経団連の採用ルール廃止、そして官僚子息裏口入学事件医学部の大学入試不正事。過去においては人口増加と経済成長の勢いで目立たなかった様々な問題が一気に吹き出してきたようです。

今まさに炎上中の医学部不正入試問題ですが、医学部は元々特殊な存在で、入試や仕事の特殊性については、私も実際に以下のようなことを見聞きしてきました。これらは全部、私が直接当事者達から伺った話で伝聞ではない事実です。

・総合大学の附属高校で成績優秀な生徒が、大学側から高額な寄付(1000万円位)出せば医学部に進学できるといわれた。

・医者(ある医師会の有力者)の子供が、まったく勉強していなかったのに私学医大に入学できた。

・小学生から高額なお受験投資で子供を医師に育てあげた親が「医者の家系でもない私が、経営者として十分な収入がなければ子供を医学部に入れるのは無理だった」と嘆いた。

・外科医は40歳までしか高度な手術ができない(老眼が入るため)ので、若い人(現役入学者)の方が有望だと話していた医者。

私は医者とは全く縁の無い家系ですが、これだけの話しを耳にしてきましたから、皆様の中でも似たようなエピソードに触れたことがあるのではないでしょうか。

この入試不正問題(浪人や女性が不利益に扱われる)は、ここまで炎上してしまったので、大学側も何らかの対処を取らなければならないでしょうが、仕事の現状を考えるとなかなか難しそうです。「特別AO入試応募枠」とか「紹介応募枠」とか設定して、入り口から分けるとスッキリしますが、一般入試との募集人数比率の設定の問題や、国の補助金が打ち切られるリスクも出てきます。

企業の採用活動でいえば、違法性はありませんが学歴フィルターと似ています。「そんな選考基準があるんなら最初から言って下さいよ!」ですね。大学も企業も募集段階から公開した方が選考側も楽ですが、公開すれば今度は「差別だ!」と言われそうなのでノーコメントが殆どです。しかし、経営のグローバル化を目指す経団連会長ならば、学歴フィルターと同じ機能をもち、米国でも普通に導入されている「指定校制度」を復活させたり「推薦募集枠」を喜んで導入したりしそうです。

医学部の入試不正問題は出口に国家試験があるのがまだ幸いですが、かつての日本の「指定校制度」は大学ブランド(受験偏差値)だけを見ていて、入学後の学生の学びをあまり見ていませんでした。今回の事件をキッカケに、企業が大学教育の中身をしっかり見るようになるならば、災い転じて福となす、となるかもしれません。今年も残り2ヶ月、災いは年内に片付けて新しい年を迎えたいものですね。

第384号:採用ルール廃止についての学生討議

10月10日の朝刊の一面には「経団連の採用ルール廃止」が並びました。たまたまその日の3年生の授業はプレゼンテーションとグループディスカッションの演習だったので、これをテーマにしてみましたが、学生の視点はなかなか冷静でした。

授業ではまず個人で賛成か反対かの立場を決めて論拠をまとめ、1分間の個人プレゼンテーションを行い、その後に同じ立場のグループに分かれて討議をしてからグループ別の発表を行いました。集計の結果と理由は以下の通りです。奇しくも大手就職情報企業の学生調査アンケート結果(採用ルールは必要が約70%)と似たものになりました。

ルールの廃止には、反対(62.5%)賛成(37.5%)

▼反対理由
・学生の(勉強への)モチベーションが低下する
・(早期化により)企業側に辞退者が増加する
・新たなミスマッチが発生する
⇒早く決まっても、就活は続けるので学生の意識が変わる
⇒早く決まると勉強せず遊ぶので、伸びるはずの学生が低迷する

▼賛成理由
・学生が主体性を獲得できる機会になる
・多忙になるので時間管理力が向上する
・上記の結果としてミスマッチが減る

▼条件付き賛成意見
⇒大学が学生の学習環境等を守ってくれるなら賛成

論拠の知見やデータの不足は否めないものの、思い込みや感情に偏った意見ではなく冷静に分析しており、授業の狙い(ロジカルシンキング&プレゼンテーション)は達成できました。結果として授業前にこのニュース報道に不安がっていた学生も少し安心できたようです。

最後のまとめで学生に教えたのは、アリストテレスの「実践知」です。法政大学の看板でもありますが、実践知とは単に仕事ができるだけではなく、社会の課題解決のための知見(教養)をもち、それを正しい方向に進めるためのモラルvirtue美徳)をもつことです。経済的なメリット・デメリットだけではなく、それが人類を幸福にするか、社会を良い方向に導くか、を判断して行動できるかです。

経営学者で世界的権威の野中郁次郎一橋大学名誉教授も、この重要性を経営者に説いていますので、経団連を初めとする経営者諸氏にはルールがなくともモラルで活動できるところを見せて欲しいです。

参考URL

▼速報:就活日程ルール撤廃による企業・学生の影響は?:ディスコ
https://www.disc.co.jp/press_release/6434/

▼就活を「自由化・通年化」しても、うまくいかないこれだけの理由:日経Biz Gate
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZZO3578154026092018000000?channel=DF040620184168

第383号:体育会学生を採用する時の注意点

毎日のようにスポーツ団体のパワハラ問題が報道され、ことの顛末が明らかにならないまま、次から次へと事件が発生しています。昔から体育会の学生は就職に強いと言われていますが、不安になっている部員も多いことでしょう。一連の事件はスポーツ界の中でも様々な利権が絡む頂点にあるトップアスリートの世界の特殊な事件が殆どです。アイドルの不祥事が目立つのと同じで、特殊事情を一般化してすべての体育会学生が変に見られるのは可哀想ですね。

さて、私も体育会学生だったこともあり、多くの体育会学生を面接して採用してきました。体力や礼儀作法は社会でも即戦力ですが、逆に注意しなければならない点もあります。それは体育会学生の資質の二面性です。体育会学生の長所は短所で両刃の剣をもっており、この格差は一般の学生と比べると大いに差があると感じます。

例えば「素直さと無思考」です。企業が求める「素直」な人材とは、言われたことの理由を問わずにすぐやってみる人材のことで、すぐに行動に移せる体育会学生の長所です。しかし反面、言われたことしかできない「無思考」な人物である可能性もあります。スポーツの中でも監督の指示によってチームプレイをするような体育会出身者に多いようです。あえて、そうした人材を求める業界・企業もありますが、採用して長期間見ていると、「素直」と「無思考」の人材の成長には大きな差が出てきますし、後者の人物は上司になって部下をもった時にパワハラをする可能性もあります(本人はパワハラとは思っていませんが)。

次に「ストレス耐性と鈍感性」です。肉体的限界を経験してきた人材は、精神的なストレスにも強いです。私自身も体感しましたが、体育会で与えられた肉体的試練やプレッシャーを考えたら、企業での時間管理敬語挨拶などはむしろ楽なものです。反面、そのストレス耐性が、周りに気を遣わない、マイペースになっている体育会出身者もいます。いわゆるKYになっているのですね。職場鬱が社会問題になってきてだいぶ経ちましたが、鈍感なのも困ります。

最後に「選手と指導者の資質」です。個人種目のトップレベル選手ほど、自分自身への集中力が高いせいか、チームのマネジメントや後輩の指導法が上手くないことがあります。そもそも関心も必要性も無かったのかもしれません。そのため、体(仕事)では表現できますが、言葉では表現ができないことがあります。「俺の背中をみて学べ!」というタイプです。感情や思考を言語化する能力を発揮してこなかったからでしょう。かつては、後輩達も(体育会出身者でなくても)先輩の行動から学び取ろうとしていましたが、最近の若者は言葉で明確に指導しなければついてこなくなりました。

改めてみてみると、体育会学生には魅力的な面が多いですが、その組織や経験によっては時代とミスマッチになってきた点も目立ってきました。多発する事件を見ていると、今の体育会学生(現役)より過去の体育会学生(OB)が問題になっていることは明らかなので、採用担当者としては、こうした背景を理解しながら良い体育会学生を見極めたいものです。

 

第382号:経団連会長の採用ルール廃止発言

北海道地方の地震に西日本方面の台風と大変な災害が重なりました。幸か不幸か大学は夏期休暇中で授業対応等は殆どされていないと思いますが、皆様におかれましては災禍ないことをお祈り致します。

さて大学には、経団連会長の個人的な発言とはいえ、採用ルール廃止発言という突風が吹きました。過去に何度も吹き荒れたもので、各方面で「この道はいつかきた道」と騒がしく議論されていますが、あまり言われていない点を指摘してみましょう。

まず中西会長の発言は、日立製作所の事業体制と採用手法があってのものだということです。グローバル対応(顧客が海外日本法人ではなく世界各国の企業とのビジネスを確立している)をとっくに済ませており、米国型のスカウト型採(リクルーター動員)も導入済みです。トヨタと同じで、マスメディアに頼らずヒトメディアというダイレクトリクルーティングのチャネルを確立しているということです。その原点は理系職採用での大学研究室訪問です。金融業界等がキャリアセンター向けに出している第一志望保証制度のような一般事務職学校推薦ではなく、授業内容に
根ざした大学研究室との絆です。

つまり、日立製作所にとっては採用ルールなどあってもなくても関係ありません。また中西会長は日立製作所の再生に大なたを振るってきた経営者です。形骸化した慣行を廃して実質的な野武士経営を推し進めてきた目には、日本独特の採用ルールの意義は失われていると見えるのでしょう。これまでの経団連会長のような「調整的」役割ではなく「改革的」役割を重視しているようです。

経団連による採用ルールは、学生に対して不法な採用選考(人権侵害の面接、脅迫まがいの誓約書・不当拘束、 etc.)や、大学の学習環境の侵害(早期化、授業時間中の選考呼び出し、 etc.)をしないということが本来の目的のはずですが、中西会長の発言にはそうした配慮は感じられません(感じて欲しいですが)。

過去何度も議論されてきましたが、現在において採用ルールは機能しない環境になってきました。大学生(大学)の多様化が進み、一つのルールで全体を幸せにするのは不可能だからです。少子化時代に入り構造的な人手不足が続くことがわかっていても、今の大学生が不安なのは大学格差が広がっていることがわかっているからでしょう。これは企業側も同じで、採用ルールが存在するもう一つの意義は、中小企業のための大企業のハンディキャップです(だから商工会議所は採用ルール遵守を求めます)。

さて、もし採用ルールがなくなれば、早期化が進み混乱がおきることは間違いないでしょう。そうなると繰り返されてきた採用ルール復活という論もまたまた出てきそうですが、私は10年後には議論にもならなくなっているのではと思います。それは人類が過去に経験したことのない構造的人口減少が進み、新卒一括採用が年々効率のわるい採用手法になってくるからです。日立製作所のようなヒトメディア採用が増え、若年転職者が増え、海外との競争が増え、採用・就職多様化時代になるからです。

もしかすると、中西会長の目にはそうした情景が見えていて、いつか来る災難への対応を加速化させようとしての発言かもしれません。

第381号:オープンキャンパスでの保護者向けセミナー

大学の夏休みといえばオープンキャンパスがすっかり風物詩として定着しました。各大学を回る親子連れを見ていると微笑ましく感じます。私も保護者向けセミナーで講師を行いますが、熱心に質問してくる親御さんに対応していると、キャリアの投資相談を受けているようです。こうした機会に、日頃なかなか話の出来ない親子が対話をするのはとても良いことだと思います。

さて、女優綾瀬はるか主演の『義母と娘のブルース』というTVドラマが高視聴率だそうです。先日、この番組で大学受験に関する親子のやりとりのシーンが出てきて注視させられました。高校生の娘は大学受験で「そこそこ知名度のある大学に入れたら」と考えていましたが、義母や友人の「やりたいことを見つけて、それに合わせて大学や学部を選ぶ」という話しに触れてコンプレックスを感じてしまいました。娘の本音では、自分は勉強はできないけれど、献身的に面倒をみてくれるキャリアウーマンの義母の期待に少しでも近づきたいというもので、大学志望動機が幼すぎると感じたのでしょう。

私も義母と似た考えで、高校のキャリア教育では大学・学部という組織の意義や歴史を教え、社会の仕事を教え、その目的にあった大学・学部を選ぶのが基本だと思います。若者はやりたいことが見えないと言いますが、やる気がないのではなく、やりたいこと(社会のこと)を知る機会が少ないからです。プロ野球や甲子園という夢をもつ高校球児が頑張れるように(スポーツを職業にするという難題はちょっと横に置きます)。

しかし、子供が親の期待に応えたいという気持ちもわかります。実際、私の教え子にも、憧れの航空会社CAに内定したのに「先生、本当にこれで良かったんでしょうか?実は私はそれほどCAになりたいとは思っていませんが、母や祖母が喜ぶので。」と語る者がいました。同様の話しは、アナウンサーや教員になった卒業生からも耳にします。

どんなキッカケであれ、仕事に就いたらそこに自分のやり甲斐を見出して職場に定着していく人は多いです。それを自分のものとしないで他責的になる若者はミスマッチを理由に早期離職していくか、または親の期待から卒業して(親の期待を果たして?)自分の夢を見つけて転職していくようです。

私もオープンキャンパス等で保護者向けの講演を致します。通常は大学のキャリア教育について、最近の就職市場や学生の意識等について話しますが、子供との接し方についても高い関心を持たれます。スキルとしてはカウンセリングやコーチングの基本を伝えつつ、その親御さん自身の就労観子供に対する就労観を考えて貰うようにします。

社会がどんどん成熟していく中で、就労観も社会そのものも大きく変わり、今の子供は今の親とは異なる生き方をするようになるでしょう。就職、結婚、出産、住居の意思決定の内容もスタイルも、保護者が大学生だった30年前とは様変わりしてきています。家族の関係もその話し合いのなかから育まれるのではないかと思います。オープンキャンパスが、親子それぞれのキャリアを一緒に見直す機会になると良いですね。