新年おめでとうございます。年末から各大学で卒論提出時期となり、私学では間もなく期末試験も始まります。昔から日本の大学は出るのが楽だと言われますが、卒論はその象徴かもしれません。日本と世界では大学を見る社会背景が異なりますし、大衆化が進む日本の大学の現状は全否定しませんが、最高学府(久しく聴かなくなってきた言葉です)としての文書を書く「基本」はしっかりして欲しいと思います。
私がレポートや論文の「基本中の基本」として授業で伝えていることは、以下の3点です。これまで何度か書いた、エントリーシートの書き方(採点基準)と同様です。
・事実と意見と客観性
大学業界(笑)では「お作法」と言われますが、学部ではレポートでも論文でも、「事実」を分析して「意見」を展開する。その「事実」は出来る限り客観性を帯びていること。自らの体験は論文の問題意識にするのは良いですが、それだけで論じては自己流になってしまいます。こうした「作法の基本中の基本」論文と呼ぶ限りは整っていて欲しいものです。もっと具体的にいうと「数字」と「固有名詞」を必ず使うことです。
・他者評価
そもそもレポートも論文も、自分ために書くのではなく、他者に見て貰うためのものです。社会に提言する意識で書くものであって、恥ずかしくて見せられない、という程度の文章ならNGです。しかしながら、他者評価を意識していない(具体的に言うと先行研究の調査をしていない)学生ほど、独善的な「自分らしさ」に傾きます。これは初中等教育で、相対評価を受けてこなかったからかもしれません。
・独創性
論文の正統的な教本には「独創性」が求められると書いてありますが、これに囚われすぎると却って書けなくなります。そもそも今の学問はどんどん知見が増えて分野の裾野の広すぎるので、学部生では革新的な提言は難しいでしょう。「独創性」を意識することは大事ですが、その程度については気負いすぎるとまた自己流(独善性)になります。それには、上述の先行研究(就活なら他者の自己PR内容)に当たってみれば、独創性がわかってきます。逆に、他者を見ると独創性(自分らしさ)が出なくなると考える学生が多いように見えます。
という訳で、良い論文を書きたい気持ちは分かりますが、まずは運転の上手いドライバーではなく、交通ルールを守って安全運転ができるドライバーになれば良いと思います。学部の卒論はA級ライセンスではなく単なる運転免許で、路上(社会)に出てから上手い運転ができるようになれば良いのです。
就活のエントリーシートも、抜きんでて光るモノを目指すよりは、「この学生は基本はできているな、面接に呼んでみよう」と思われれば良いのですから。論文でもレポートでも原稿でも仕事でも、最高を目指したいけれど、現実にはがあり、未完成の意識でリリースすることが多いでしょう。でも、それはゴールではなく、スタート地点だと思えば踏ん切りもつくと思います。