第401号:内定辞退劇場の季節

第1志望群」の企業に内々定を貰って誓約書を求められたのですが、まだ就活を続けたくて・・・、どうすれば良いですか?」もう20年以上受け続けている超定番の相談ですが、今年も増えてくる季節になりました。法的・道義的な解説はひとしきりしますが、状況も考え方も人それぞれで、正解などありません。最後は「自分が一番、納得できる対応(選択)をしなさい。」ということになります。

学生本人によって、業界・企業・採用担当者によって、意見は異なりますし、本人の事情を詳細に聴いてベストと思われる対応を考えてあげても、実際はその通りに学生は動かず、採用担当者とのやりとりの流れで良くも悪くも思わぬ結果になったりします。本人のために必死に考えた私の努力は何だったんだ?と思わされますが、まあCAの避難訓練みたいなもので緊急対策は使わないにこしたことはありません。(笑)

私の経験では、学生が思っている以上に採用担当者は理解してくれて、一定期間の猶予をくれるところが多いです。学生の話し方や選考結果内容でも相当に状況は左右されているのでしょう。正直、採用担当者として相談にのってあげたい学生と、厳格に対処したい学生が居るのは事実です。内定者のレベルも絶対採りたい学生と、まあまあの学生も居りますし。

先日会った、大手メーカーの採用担当者も「私も学生の頃に同じ体験をしたので、正直に話してくれたら相談に乗ります。」とおっしゃっていましたが、私も同様でした。勤務していた企業はBtoB系企業なので、そもそも第1希望で応募してくれる学生は半分位で、内定を出しても受諾を躊躇する学生が多かったのです。

私は元々、営業だったこともあり、そこからが勝負だと考え、第1志望になるようにいろいろ説明していました。但、無理な説得はしていません。好きではありませんでしたし、人の人生を左右する責任も重く感じていました。ある意味、プロ失格ですね。以前、『勉強をする(成績の良い)学生は「第1志望」に受かる可能性が高い』という論文を読んだことがありますが、学生の「第1志望」なんてちょっとしたことで変わります。広い世界を知ったらますます、「第1志望」なんてわからなくなるでしょう。これは志望大学も恋愛も同じですよね(笑)。

結局、採用担当者としても自分が納得できる対応をしたかったんだな、と思います。全力を尽くして説明したら、どんな結果であれ納得できますから。実際、正面から向き合えば、ホンネで話してくれる学生の方が多かったです。辞退理由を聴いて「ああ、それはこちらとしては残念だけど、君には良かったね。」と言ったこともあります。良い応募者を仕事仲間にできなかったのは本当に残念でしたが。

しかし、ずっと第1志望と言っていたのに、突然裏切られるのは傷つきます。そのうち鈍感になって女性不信になりました。その点、理系男子は正直な子が多くて救われました。繰り返しますが、あくまで私の個人的な経験です(笑)。

さて、明日はどんな交渉・かけひきが繰り広げられるのでしょうか。週明けはどんな相談が来るんでしょう。本当に人生はドラマです。

第400号:コンピテンシー面接(自己分析)の弊害-2

採用選考活動が解禁となって2週間が過ぎました。企業の内々定出しも進み、結果の有無で就活学生の顔色が日々、違ってきています。その差の原因は多様ですが、採用担当者として思い当たるのは、コンピテンシー面接の弊害で自己分析のミスマッチが発生しているのでは、ということです。

学生はコンピテンシー面接という言葉は知らなくても、企業からのエントリーシートや面接の質問で、「学生時代に力を入れたこと」(ガクチカ)とその経験から得た能力・資質(自己PR)をまとめる自己分析は死ぬほどさせられています。しかし、その自己分析のやり方に、結果を手にする学生とそうでない学生の差があるように見えます。それは分析の視点が内面か外面か、ということです。

の自己分析とは精神面についてのことで、外面のそれは行動面についてのことです。例えば、企業採用担当者が求める資質に「素直」というものがあります。これはわかりやすい言葉であるが故に、意味の差(学生と採用担当者の認知差)があることにお互いが気付きにくいのです。学生は「性格」のことだと思いがちですが、採用担当者は「行動」と捉えています。

つまり、採用担当者が「素直」と言った場合は、言われたことをすぐに実行する行動力のことを指しますが、それを理解している学生は少なく、逆に「何故それをやるのですか?」指示の意味を問う学生の方が多いです。言われたままに「考えずに動く」のは良くないこと、と思っているのでしょう。それは間違っていませんが、企業で仕事をする場合、現場の上司は必ずしも説明が上手くなかったり、一度やらせてみてあえて失敗させてから)教えてみたりします。なので、そうした社会人からは「素直でない」と誤解されてしまったります。

他にも「自分らしさ」という場合、社会人から見たそれは性格ではなく行動面のことであると同時に、他者との比較の中において現れる「その人の行動特性」です。内面の視点で見る学生は、それを「自分のありたいままにいる自分」と捉えがちで、しかもそれは他者比較すると意外とありふれたものであることに気づけていません(むしろ、内々定を取れない学生は他者比較を毛嫌いします)。

有望群の採用選考が一巡すると、企業も学生もリターンマッチが始まります。採用担当者は辞退された学生の追加募集を行いますので、これからまた一山登らなければなりません。リターンマッチする学生には再挑戦のチャンスですが、そんな学生達へ、内面から外面、精神面から行動面に気付いて貰うために、こんな言葉を伝えると良いのではないでしょうか。東日本大震災の後に、ACジャパンの意見広告で採用された以下のフレーズです。

こころ」はだれにも見えないけれど「こころづかい」は見える

思い」は見えないけれど「思いやり」はだれにでも見える

詩人・宮澤章二の『行為の意味―青春前期のきみたちに』から引用された言葉ですが、最初のハードルで躓いた学生には、きっと考えるヒントになると思います。