第407号:内定辞退者予測サービス事件-2

リクルートキャリア社の内定辞退者予測サービス事件については、やはり国も職業安定法の行政指導という動きに出ることとなりました。徐々に事件の概要が見えてきましたが、現時点でも、一般の大学や学生にとっては不明なことも多いです。この事件は大学にとっても業界(人材だけではなく情報産業全般)にとっても重大な内容なので、今後も注視する必要があります。まだ総括できる段階ではありませんが、あまり語られていない点を、私見でお伝えしたいと思います。

1.アルゴリズムの問題

内定辞退者予測サービス「リクナビDMPフォロー」は、昨年度の学生の内定辞退動向から、本年度の学生の辞退率をAIが推測するというものですが、他社を多く回る学生が本当に自社の内定を辞退する確率の高い学生なのかは難しい判断です。確かに「就活フリーク」というべき「意識高い系内定ホルダー」は存在しますが、「御社だけしか見ていません」と真面目に言い切る学生も能力的に避けたいものです。

つまり、良い学生はそれなりに競合他社を回るものであり、採用担当者が知るべきなのは、その学生が「内定辞退した理由は何なのか?」です。更に、内定辞退をどのような形で行ったかも重要です。しかし、それはリクナビのデータにある行動パターンだけでは判断しにくいと思います。逆に、もしそこまでAIが見ているならば、相当に怖いシステムです。なので、法律問題はさておき「リクナビDMPフォロー」の的中率については興味深いです。

2.採用担当者の努力不足

学生の企業の志望順位は就活中にどんどん変化します。業界トップの企業ならともかく、多くの企業は内定辞退に悩みながら、いかに他社希望の学生を第1希望にするか、という努力をするものです。それを4~500万円という対価を支払ってでも、役員面接に第1希望の学生だけを集めたい企業が、このシステムを利用したのでしょう。

このサービスを利用した38社中、企業名が判明しているのは約20社です。取材に回答したのか自ら公開したのかは不明ですが、それらの企業は口を揃えて採用選考には使っていないと言っています。しかし、その証明は不可能でしょう。リクルートキャリア社からも「採用選考には使わないという条件」で導入されたと説明されていますが、そうした危険な商品を購入した時点で採用担当者のコンプライアンス感覚が疑われます。前回のコラムでも書きましたが、かつてのように自社内でデータを管理していた時代なら起きなかったことが、クラウド(就職情報企業サーバー)上に置くことや、自社の応募学生データ管理を外注管理するようになったために、鈍感になってしまったのかもしれません。

本件のネット情報は単なる転送や表面的な個人の論評が多いので、後で見直しても本質的な情報と思われるものを以下にあげました。この事件は風化させてはいけないものだと思いますので。

参考URL:

「「リクナビ内定辞退予測」問題でリクルートOBの僕が伝えたいこと」
2019/8/26(常見陽平氏:現代ビジネス)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66687

「リクナビによる「内定辞退率」データ提供の問題点はどこにあったか 法的観点から弁護士が解説」
2019/08/15(杉浦 健二弁護士:BUSINESS LAWYERS)
https://business.bengo4.com/articles/613

「リクナビ内定辞退率問題で厚労省激怒、「データ購入企業」にも鉄拳」
2019/9/20 (ダイヤモンドオンライン)
https://diamond.jp/articles/-/215312

「『リクナビDMPフォロー』に係る当社に対する勧告等について」
2019/8/26 (プレスリリース記事詳細:リクルートキャリア社)
https://www.recruitcareer.co.jp/news/pressrelease/2019/190826-01/

第406号:未来のマナビフェスで気付かされた宣教師精神

夏休みは学会や研究会のシーズンですね。私も教員の端くれとして「未来のマナビフェス」に参加してきました。以前は毎年京都大学で行われていた教育学のイベントでしたが、委員長の溝上慎一教授が京大から桐蔭学園の理事長に転身されてから東京で開催されるようになりました。小中学校、高校、大学、企業の現場教員・人事部員のシンポジウムや実践報告です。私もポスター発表を行ったのですが、なかなか話す機会のない高校の先生からの質問等は新鮮でした。それはまるで未開の地を訪ねていく宣教師のようです。

私の報告は「企業の採用選考基準と摺り合わせたキャリア教育の試み」というタイトルで、大学キャリア教育と企業の求める人材像(採用選考基準)のミスマッチのメカニズムと対策を報告しましたが、やはり中高校~大学~企業(社会)の世界は相当に異なり、壁は高いと感じさせられました。通常の学会ならば、専門用語や前提となる基本的な知見の説明は省略できるのですが、まるで違う分野から来られた方には言葉の使い方から気を遣います。来訪者の言葉・関心・知見・資質に合わせた言葉で説明しなければなりません。しかし、お互いが異なる領域だからこそ、こうした機会にそれぞれの世界を覗いて異なる知見から学び取る「越境学習」の意義があります。

かつて冒険家や宣教師が未開の土地を訪れて異なる文明に出会った時は、こんな感覚だったのでしょう。生死をかけている彼らとは次元が違いますが、いくつもの言語を学び、自力で生存する術を身につけ、好奇心と行動力をエネルギーに未知の世界へ飛び込む冒険の連続です。現代においても、最近流行の「兼業」や「パラレルキャリア」で異分野に挑戦する社会人も同じではないでしょうか。

こんな時に思い出す言葉は、日本の学会と米国の学会の報告の違いです。「聴く者に責任がある」「話す者に責任があるか」勿論、前者が日本で後者が米国です。日本の島国文化は価値観や言葉がわりと均一ですが、米国のような大陸文化では思想も言葉も宗教も多様です。なので、日本の学会では聴講者が理解できないと、それは聞き手の勉強不足と思われがちですが、米国では真逆です。

また思い出したのは、この感覚は企業人事時代に行っていた米国での留学生採用活動です。今は海外での留学生採用イベントが各国でたくさん企画されていますが、当時はまだ数が少なかったので、現地大学を調べて直接学内説明会に飛び込んでおりました。言葉(英語)での対応や、多様な質問に対応するのは大変でしたが、日本では出会えない有望な留学生とコンタクトできました。それは宣教師精神というべきベンチャースピリットだったのだと思います。採用担当者として、一回り成長できたと感じました。

さて、この夏休みに、学生達はどれだけ世界に飛び出しているでしょうか?面接をしていると、今は「海外留学」というのは珍しくありませんが、その中身は多種多様です。宣教師のように(?)好奇心と行動力で、大きく成長した学生を出会うことを楽しみにしています。ちなみに今回の「未来のマナビフェス」で知り合った地方大学から講演依頼を受けました。私も負けずに成長してこようと思います。

 参考URL:「未来のマナビフェス2019」
https://be-a-learner.com/manabifes/2019/