第383号:体育会学生を採用する時の注意点

毎日のようにスポーツ団体のパワハラ問題が報道され、ことの顛末が明らかにならないまま、次から次へと事件が発生しています。昔から体育会の学生は就職に強いと言われていますが、不安になっている部員も多いことでしょう。一連の事件はスポーツ界の中でも様々な利権が絡む頂点にあるトップアスリートの世界の特殊な事件が殆どです。アイドルの不祥事が目立つのと同じで、特殊事情を一般化してすべての体育会学生が変に見られるのは可哀想ですね。

さて、私も体育会学生だったこともあり、多くの体育会学生を面接して採用してきました。体力や礼儀作法は社会でも即戦力ですが、逆に注意しなければならない点もあります。それは体育会学生の資質の二面性です。体育会学生の長所は短所で両刃の剣をもっており、この格差は一般の学生と比べると大いに差があると感じます。

例えば「素直さと無思考」です。企業が求める「素直」な人材とは、言われたことの理由を問わずにすぐやってみる人材のことで、すぐに行動に移せる体育会学生の長所です。しかし反面、言われたことしかできない「無思考」な人物である可能性もあります。スポーツの中でも監督の指示によってチームプレイをするような体育会出身者に多いようです。あえて、そうした人材を求める業界・企業もありますが、採用して長期間見ていると、「素直」と「無思考」の人材の成長には大きな差が出てきますし、後者の人物は上司になって部下をもった時にパワハラをする可能性もあります(本人はパワハラとは思っていませんが)。

次に「ストレス耐性と鈍感性」です。肉体的限界を経験してきた人材は、精神的なストレスにも強いです。私自身も体感しましたが、体育会で与えられた肉体的試練やプレッシャーを考えたら、企業での時間管理敬語挨拶などはむしろ楽なものです。反面、そのストレス耐性が、周りに気を遣わない、マイペースになっている体育会出身者もいます。いわゆるKYになっているのですね。職場鬱が社会問題になってきてだいぶ経ちましたが、鈍感なのも困ります。

最後に「選手と指導者の資質」です。個人種目のトップレベル選手ほど、自分自身への集中力が高いせいか、チームのマネジメントや後輩の指導法が上手くないことがあります。そもそも関心も必要性も無かったのかもしれません。そのため、体(仕事)では表現できますが、言葉では表現ができないことがあります。「俺の背中をみて学べ!」というタイプです。感情や思考を言語化する能力を発揮してこなかったからでしょう。かつては、後輩達も(体育会出身者でなくても)先輩の行動から学び取ろうとしていましたが、最近の若者は言葉で明確に指導しなければついてこなくなりました。

改めてみてみると、体育会学生には魅力的な面が多いですが、その組織や経験によっては時代とミスマッチになってきた点も目立ってきました。多発する事件を見ていると、今の体育会学生(現役)より過去の体育会学生(OB)が問題になっていることは明らかなので、採用担当者としては、こうした背景を理解しながら良い体育会学生を見極めたいものです。

 

第382号:経団連会長の採用ルール廃止発言

北海道地方の地震に西日本方面の台風と大変な災害が重なりました。幸か不幸か大学は夏期休暇中で授業対応等は殆どされていないと思いますが、皆様におかれましては災禍ないことをお祈り致します。

さて大学には、経団連会長の個人的な発言とはいえ、採用ルール廃止発言という突風が吹きました。過去に何度も吹き荒れたもので、各方面で「この道はいつかきた道」と騒がしく議論されていますが、あまり言われていない点を指摘してみましょう。

まず中西会長の発言は、日立製作所の事業体制と採用手法があってのものだということです。グローバル対応(顧客が海外日本法人ではなく世界各国の企業とのビジネスを確立している)をとっくに済ませており、米国型のスカウト型採(リクルーター動員)も導入済みです。トヨタと同じで、マスメディアに頼らずヒトメディアというダイレクトリクルーティングのチャネルを確立しているということです。その原点は理系職採用での大学研究室訪問です。金融業界等がキャリアセンター向けに出している第一志望保証制度のような一般事務職学校推薦ではなく、授業内容に
根ざした大学研究室との絆です。

つまり、日立製作所にとっては採用ルールなどあってもなくても関係ありません。また中西会長は日立製作所の再生に大なたを振るってきた経営者です。形骸化した慣行を廃して実質的な野武士経営を推し進めてきた目には、日本独特の採用ルールの意義は失われていると見えるのでしょう。これまでの経団連会長のような「調整的」役割ではなく「改革的」役割を重視しているようです。

経団連による採用ルールは、学生に対して不法な採用選考(人権侵害の面接、脅迫まがいの誓約書・不当拘束、 etc.)や、大学の学習環境の侵害(早期化、授業時間中の選考呼び出し、 etc.)をしないということが本来の目的のはずですが、中西会長の発言にはそうした配慮は感じられません(感じて欲しいですが)。

過去何度も議論されてきましたが、現在において採用ルールは機能しない環境になってきました。大学生(大学)の多様化が進み、一つのルールで全体を幸せにするのは不可能だからです。少子化時代に入り構造的な人手不足が続くことがわかっていても、今の大学生が不安なのは大学格差が広がっていることがわかっているからでしょう。これは企業側も同じで、採用ルールが存在するもう一つの意義は、中小企業のための大企業のハンディキャップです(だから商工会議所は採用ルール遵守を求めます)。

さて、もし採用ルールがなくなれば、早期化が進み混乱がおきることは間違いないでしょう。そうなると繰り返されてきた採用ルール復活という論もまたまた出てきそうですが、私は10年後には議論にもならなくなっているのではと思います。それは人類が過去に経験したことのない構造的人口減少が進み、新卒一括採用が年々効率のわるい採用手法になってくるからです。日立製作所のようなヒトメディア採用が増え、若年転職者が増え、海外との競争が増え、採用・就職多様化時代になるからです。

もしかすると、中西会長の目にはそうした情景が見えていて、いつか来る災難への対応を加速化させようとしての発言かもしれません。