第306号:4年生が消えた春学期

早いもので、大学の春学期も終盤になりました。今年度の大きな変化は4年生が教室から姿を消したことです(私の担当する必修単位ではない科目の場合です)。4月の頃はわりと見かけたのですが、GWを過ぎるとチラホラとなり、6月に入ってからは皆無となりました。こうしたシーンを見ると、私が就職活動をしていた30年前と同じになったなあ、と感じます。時代は新しい方向に向かっているのでしょうか、繰り返しているのでしょうか。

 

私が社会人になったのは、1984年のことです。当時の就職活動解禁日は10月1日でしたから、今よりもう少し遅いです。私は4年の春学期まで運動部を続けていたので就活を始めたのは夏休みに入ってからでしたが、気の早い学生はGWの頃から活動を始めて6月には早々に内定を手にしていました。当時の多くの学生は「4年になったら就活で忙しくなる」という意識でいたと思いますので、卒業に必要な単位は3年までにとっておいて4年は必須の科目とゼミだけにするという戦略が多かったと思います。

なので、4年になったらできるだけ企業訪問ができるような体制(単位取得状態)にしておくというのは、今求められる状況と似ていると感じます。また、当時はネットや大規模な就職セミナーは今より少なかったと思いますので、学生が企業とコンタクトするのも個別に電話したりOB訪問したりで、今のターゲットリクルーティングのような個別対応と似ています。

 

逆に、以下の様に今の学生と違うところも多いです。

1.情報が少ないのであまり不安にならない。(能天気になれた。)

2.人と比べられて評価される事になれている。(受験地獄時代だった。)

3.大学単位取得が楽だった。(お上があまりうるさくなかった?)

 

これらの現象がなくなった背景には、当時にはなかった社会の構造的変化があります。それぞれ、ネット社会の発展、少子恒例社会の到来、大学教育の改革ですね。当時としては想像し難いことでした。このように、現象面では似通っていても、その原因が同じか違うかは注意してみる必要があります。それに気付かないと「昔は良かったなあ」「最近の若者は」という懐古主義になってしまいます。

 

4年生が教室から消えたとしても、社会に飛び出てそれまで学んできたことが、役に立つ・役に立たない、ということに気付いた、というのであれば、それは自主的なキャリア学習とも言えます。

 

秋学期になって4年生が教室に戻ってきたとき、笑顔で就活体験を語ってくれたなら、この春学期の欠席状態は、決して嘆くべきことではないと思います。(もっとも、秋学期に出てくる4年生は、単位不足で焦っている学生の方が多い気もしますが。)

第305号:「学歴フィルター」の捉え方で判断ができる

某国民的有名企業が「学歴フィルター」の存在を暴露されたと話題になりました。ネット時代になってから定番ネタになっているので真剣にとりあうのもなんですが、このフィルターの捉え方でその人(学生、採用担当者、教職員、コンサルタント等々)の見識のレベルがよくわかります。

 

採用活動が企業の営利活動の一環である以上、コンプライアンスに触れない限り、どのような方針をとろうが企業の自由で、この資本主義社会の基本が、何故か企業(採用担当者)が叩かれることになるのはちょっと可哀想だと思います(「指定校制度」を堂々と言えた昭和が懐かしいです)。いつもお約束のように、公的な資格試験や大学入試の如く「公平ではない」「アンフェアである」とのコメントが頻出します。

 

もっとも今回の場合は、学歴フィルターそのものではなく、これを使っていないように見せながら(積極的にそうした表現をしていたとは思えませんが)使っていた現象が不誠実であると批判されています。だから「学歴フィルターを使っていると公開すべきだ!」という意見も目にしますが、私にはこれらもナンセンスに思えます。というのは、こうした方々は世の中の現象が全て公明正大に動いている、世界は白か黒かのどちらかであるべきであるというデジタル思考の論者だと思います。もし、こうしたデジタル論者の人材を企業が採用したら、現場から「扱いにくくてしょうがない!」「なんでこん奴を採ったんだ!」と言われます(私も本当に言われました)。

 

世界の殆どはグレーでアナログなのです。グレーとは怪しいとか疑わしいとか悪いことができるというのではなく、現実的で人間が知恵で個別に対処しなければならないということであり、そんな人材が企業には有用なのです。

 

ということで、学歴フィルターというものの捉え方で、その人間の成熟度というか、社会適合性が判定できると私は思います。以前、このコラムでもご紹介したとおり、できる人の共通点は、環境のせいにしないことですから。できる学生は、学歴フィルターの存在を問題にするより、それをどう乗り越えるか、避けるかを考えます。採用担当者としては、そうした若者の方が魅力的ですからね。採用選考で「学歴フィルターをどう思うか?」というグループ・ディスカッションをやってみたら面白そうです。

 

ところで、こうした学歴フィルターに似たネット社会独特の現象(問題?)はどんどん増えています。そのもっとも身近なのは、Googleの検索結果の表示です。あまりに良く使うので忘れられがちですが、Googleのような検索エンジンの仕組みでは利用者の傾向にあわせて表示結果が変わります。ユーザー重視の「最適化」とか「カスタマイズ」などと言われますが、良く考えると恐ろしいことです。知らぬ間に毎日の我々の関心や行動が分析され、それによって見せられる世界がコントロールされている・・・、学歴フィルターより罪深いかもしれません。