大学祭とそれぞれの秋

明日から外語祭(100回目)が始まり、授業は1週間休講になる。正味5日間やる大学は少ないだろう、しかも1学年が1000人に満たない小規模大学では。

他大学では大学祭に関わるより、遊んだり休講期間を利用して旅行に出る学生の方が多いようだが、外大の大学祭は、世界各国の語劇と料理(模擬店)が披露され、大学祭に関わる学生の方が多いだろう。

授業が受身のインプットなら大学祭は自主的なアウトプットとして機能しているようだ(外大が当初からそうした教育構想をもっていたのかは定かではない)。

結果、外大生の就活ガクチカでは勢い大学祭ネタが多くなる。それは当然のことなのだが、採用担当者からみると「また大学祭ネタか」と思われてしまうことがある。採用担当者は自分の経験を無意識に一般化して選考基準にしていることが多いのだ。

故に、外語祭をガクチカネタにするならば、まずは他大学と違う外大祭のコンセプトを説明しなければ、採用担当者から「他にチカラを入れたことは何ですか?」とスルーされてしまう。個性を発揮したいなら、絶対的な価値ではなく相対的な価値で主張しないと「自分ファースト」の人と思われてしまう。

*私が知る限り、授業との関係性を考えている骨太企画のある大学祭は三田祭だけだ。他は何処の大学に行っても似たようなイベントばかり。

過日の就職セミナーで、大学祭実行委員で模擬店担当だった卒業生が「今の仕事は駅ナカのショッピングモールの企画で、実行委員のようなものです。まさか本職になるとは!」と笑っていた。
たかが大学祭、されど大学祭、意義あるものにするかしないか、それは考え方次第だ。

しかし間違いないことは、何かを一所懸命にやれば、それは必ず自分の能力になっていること。それは勉強、留学、運動、舞踏、音楽、趣味、恋愛、何でも同じだ。

しかも日本は採用担当者の多くがどんな経験も真剣に聴いてくれる珍しい国だ(採用担当者もそんな大学生活を過ごした人が多いのだろう)。

楽しむということは、全集中で自主的に動くということだ。
学生の皆さん、それぞれに有意義な秋を。