第214号:講義レポートとエントリーシートの見た目

早いもので8月も1週間を残すところとなりました。大学教務課では前期試験の採点回収や成績通知の準備に追われている時期ですね。私もなんとか前期の成績評価を終えました。教員としてレポートや試験答案の採点を行っていると、エントリーシートの選考を行っているのと全く同じ気分になります。その採用選考基準のうち、もっとも影響の大きな「見た目」について触れましょう。

エントリーシートは文章ですが、面接と同じくまずは見た目が大事です。読みやすさからは、ワープロで書いて貰った方が採用担当者も楽なのですが、あえて手書きのままの企業が多いのは、その方が応募者の個性や能力に関する情報が多く得られるからです。また、偽装受験防止という理由もあります。そして、「読む」前に「見る」のは以下のような点です。

回答スペース全体を使っているか。

文字数の指定がなくとも採用担当者や大学教員が用意した回答欄や用紙は、その80~90%位が埋められることを期待しています。つまり、あえて文字数の指定をせずに、本人がどう判断するかを見ているわけです。言われなければスペースを埋めない応募者は、自己判断力・行動力・積極性に欠けると感じます。広いスペースにほんの1~2行という回答で終えている(空きスペースの方が80~90%)という信じられない回答を今年もたくさん眼にしています。こうした学生は、書くときに自分の視点で書いていて、採点者がどう感じるかという点に思いがまわらないのですね。

・記入する文字のバランスは良いか

極端に大きな文字、小さな文字、くせ字は敬遠されます。この文字の大きさなども指定しませんが、通常は答案用紙に書かれている問題文章の文字の大きさや、回答用紙に罫線があればその幅を参考に書けば大丈夫です。問題文章はワープロで書かれておりますので見やすいですが、手書き文字の場合は、その文字よりも2~3割増しの大きさが良いと思います。女子学生でよくあるケースですが、どうやって書いているのかと思わされる豆粒のような文字を書かれては(高齢の)採用担当者は読む気が失せます。

・文字の線幅筆圧は十分か

試しに書いてみればすぐにわかりますが、回答欄の枠線よりも太い文字、濃い文字にすると文字が浮かんできて非常に見やすくなります。これも女子学生に伝統的に多いことですが、罫線よりも細くて薄い文字を使用する方がおります。これでは逆に枠線に沈んでしまって、主張力や存在感も薄くなってしまいます。なので、皆様も学生に指導されていると思いますが、今は水性ボールペンの7mm位のもので書くのが良いと思います。それほど筆圧を書けなくても疲れずに書くことができます。

このように大学で無数に接する文章を書く機会は、そのままエントリーシート作成の絶好の練習になるのですが、残念ながら学生にとって大学講義レポートや試験では、エントリーシートほどの緊張感がないようです。そのため、それを採点する教員の方が読むのに苦労して泣かされているわけですが、そうした書き方の工夫をしていない学生は、就職活動の時期になってから本人が泣くことになります。

 

第213号:欝の次は躁なのか

ネット上での若者のつぶやきが社会に大きな波紋を与えています。有名人のプライバシーの暴露はゴシップ雑誌の十八番でしたが、ネットがメディア化した現在は誰でも簡単に加害者になってしまいます。今週、ついに採用面接の実況中継(当該企業は架空のものと否定)まで現れてしまいました。これまでは「最近の若者は・・・」と怒っていたのですが、どうもこれは様子が違うような気がしてきました。採用担当者にとって新たな課題が出てきたのかもしれません。

 

採用担当者に内定者や新入社員の採用において不安な点は何ですか?と尋ねると、この10年で一番多くなってきたのはメンタルヘルス(うつ病)です。何か良いアセスメントツールがないかと今でも悩んでいる採用担当者は多いのですが、今回の現象は真逆です。公共の場で、何のためらいもなく秘守すべき情報を公開してしまう、それも「2ちゃんねる」のような匿名サイトではなく、すぐに書き込んだ自分自身が特定されてしまう環境で。皆さんも、何故こんな簡単なことがわからないのか?と疑問に思われたことでしょう。私も同様に感じていたのですが、ここ数年の大学授業における学生のレポートを見ていると思いあたることが出てきました。

 

大学のレポートは、それなりの要件が整っていないと加点できないものですが、ここ数年、レポートの書き方がわからないというレベルではなく、「これを書いたら教員はどう感じるのか?」という視点がまったく無い文章が増えてきました。例えばゲスト講師を招いた講義で、講師に対しての感想を書かせると、「今日の話はイラついた。」「この講師は苦労していない。」というものから、若い女性講師に対しては「彼氏いる?」 等々、教員である私やゲスト講師が読むとわかっていながら書いてくる神経は、とてもふつうとは思えません。こうした文言を書いた学生本人に問うたところ、笑いながら返ってきた言葉が、「え?だってノリじゃないですか!」。私は一瞬、言葉を失いました。

 

こうした学生の傾向は、かつて日本青少年研究所の千石保氏が、著書『「まじめ」の崩壊』(サイマル出版会、1991年)で「ノリの文化」として指摘しておりましたが、それがどんどん「悪ノリ」してきているようです。大学講義で悩ましくなってきたのは、本来行いたい教育のスタートラインがどんどん手前になってきていることです。躾云々など親でもないのに言いたくありませんが、私もついにシラバスの評価基準に「受講態度」という言わずもがなの文言を書き加えるようになりました。

 

さて採用担当者の視点に戻ると、採用する新入社員については、欝状態よりも躁状態の方が怖いと思います。鬱状態の社員は対外的に目立つことはまずありませんが、躁状態の社員は、上記の通り、会社の内部情報を公開してしまう恐ろしいリスクになるからです。ホンの何気ないつもりのつぶやきが、会社の信用を地に落とし、取り返しのつかない被害になりえます。しかも、躁状態が軽い場合は、採用面接やグループ・ディスカッションにおいて、積極的で明るい人格と誤判断される可能性があります。

 

ロンドンの若者の暴動も、携帯メールでのささやきが集団行動を扇動しているそうですが、若者を育てている現代社会環境の荒廃という点で地脈が通じていると思うのは考えすぎでしょうか。ともあれ、今回の一連の出来事を見ていると、採用担当者も他山の石として考えなければならないと思います。