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第394号:自己PRメディアの使い分け

就職活動解禁日となり、学生が慌ただしく企業説明会に動き始めましたが、キャリアセンターには相談が急増ですね。私もお手伝いで学生の面談をしますが、採用担当者目線で見ていると、疑問に感じることが多いです。特に、履歴書エントリーシート面接の3つの自己表現の使い分けが出来ていないと感じます。改めてこれらの使い分けについてお伝えしたいと思います。

選考基準や手法は企業によって、また採用担当者によっても多様ですから、ここでお伝えすることはあくまでも私の知見からくるものです。しかし、こうした基本的な指針をもつことで、学生の悩みや迷いも相当に減るのではないかと思います。まずは3つの自己表現のメディア特性を考えた上で使い分けることです。具体的に整理すると以下の通りです。

履歴書 ⇒少量 ⇒紙   ⇒見せる  ⇒体言止め      ⇒事実

ES  ⇒中量 ⇒ネット ⇒読ませる ⇒である調       ⇒詳細

面接  ⇒多量 ⇒言葉  ⇒聴かせる ⇒ですます調     ⇒描写

まず履歴書は、読ませるものではなく見せるもの、採用担当者側から言えば、履歴書にはどんなことをしてきたか(いわゆるガクチカ)をできるだけ多様に書いて欲しいと思います。採用担当者は応募者の様々な能力を知りたいと思いますので、勉強についてはゼミや卒論は当然として、専門科目以外での好きな科目を書いて貰えれば幅広い採用担当者にアピールできます。しかし、多くの学生はゼミや卒論のテーマを書いて、その後に詳細の説明を書くので(これもひとつの書き方ですが)、採用担当者が質問するポイントが減ります。

ES(エントリーシート)は、履歴書の内容を詳細に説明するもので字数も増えますから、具体的な説明をするものです。ただ、最近の大学指定の履歴書は以前のものと違って、勉学、ガクチカ、自己PR、志望動機が項目として用意されているものが増えてきました。文字数で言うと200~300字なので、ESよりは少なめです。なので、ここで学生が履歴書とESの書き分けに悩むようになってきました。そこで私が勧めているのは、履歴書は箇条書きにすることです。大学キャリアセンターは履歴書を箇条書きにしてはいけない、と指導するところが多いように感じますが、私は反対です。極端に言えば、履歴書は採用担当者が質問する項目の羅列にして、ESで詳細を説明するという使い分けです。

最後に面接は、ESで書くと文字が溢れてしまう「具体的な事実・体験の描写」について言葉で話します。テーマは同じでも、言葉ではより臨場感があるように語れます。ESでは「学生時代には」「多様な世代に」と書いたなら、面接では「大学2年のことですが」「若者から年配までの様々な方に」と活きた言葉で描写することです。

ここでご紹介したメディアの使い分け手法は、採用担当者側にとっても応募者を理解する上で非常に助かりますし、応募者の表現能力のアピールにもなります。大学生であれば、こうした文体の使い分けで教養を示して欲しいと思います。

第390号:期末試験答案とエントリーシートの共通点-4

新年おめでとうございます。年末から各大学で卒論提出時期となり、私学では間もなく期末試験も始まります。昔から日本の大学は出るのが楽だと言われますが、卒論はその象徴かもしれません。日本と世界では大学を見る社会背景が異なりますし、大衆化が進む日本の大学の現状は全否定しませんが、最高学府(久しく聴かなくなってきた言葉です)としての文書を書く「基本」はしっかりして欲しいと思います。

 私がレポートや論文の「基本中の基本」として授業で伝えていることは、以下の3点です。これまで何度か書いた、エントリーシートの書き方採点基準と同様です。

事実と意見と客観性
大学業界(笑)では「お作法」と言われますが、学部ではレポートでも論文でも、「事実」を分析して「意見」を展開する。その「事実」は出来る限り客観性を帯びていること。自らの体験は論文の問題意識にするのは良いですが、それだけで論じては自己流になってしまいます。こうした「作法の基本中の基本」論文と呼ぶ限りは整っていて欲しいものです。もっと具体的にいうと「数字」と「固有名詞」を必ず使うことです。

他者評価
そもそもレポートも論文も、自分ために書くのではなく、他者に見て貰うためのものです。社会に提言する意識で書くものであって、恥ずかしくて見せられない、という程度の文章ならNGです。しかしながら、他者評価を意識していない(具体的に言うと先行研究の調査をしていない)学生ほど、独善的な「自分らしさ」に傾きます。これは初中等教育で、相対評価を受けてこなかったからかもしれません。


独創性
論文の正統的な教本には「独創性」が求められると書いてありますが、これに囚われすぎると却って書けなくなります。そもそも今の学問はどんどん知見が増えて分野の裾野の広すぎるので、学部生では革新的な提言は難しいでしょう。「独創性」を意識することは大事ですが、その程度については気負いすぎるとまた自己流(独善性)になります。それには、上述の先行研究(就活なら他者の自己PR内容)に当たってみれば、独創性がわかってきます。逆に、他者を見ると独創性(自分らしさ)が出なくなると考える学生が多いように見えます。

という訳で、良い論文を書きたい気持ちは分かりますが、まずは運転の上手いドライバーではなく、交通ルールを守って安全運転ができるドライバーになれば良いと思います。学部の卒論はA級ライセンスではなく単なる運転免許で、路上(社会)に出てから上手い運転ができるようになれば良いのです。

就活のエントリーシートも、抜きんでて光るモノを目指すよりは、「この学生は基本はできているな、面接に呼んでみよう」と思われれば良いのですから。論文でもレポートでも原稿でも仕事でも、最高を目指したいけれど、現実にはがあり、未完成の意識でリリースすることが多いでしょう。でも、それはゴールではなく、スタート地点だと思えば踏ん切りもつくと思います。

第377号:エントリーシートと大学受験テクニック

私事ながら、法政大学の非常勤講師の仕事が大学の組織変更により昨年度で終了しました(有り体に言えば「雇い止め」です)。これまで通常教員の2~3倍の授業をしてきたので、サバティカルに入った気分で余暇を楽しんでいたところ、有り難いことに仕事でご縁のあった大学からスポットの就職相談員のご依頼を戴き、お引き受けしました。

久しぶりにキャリアセンターで学生と向き合ってキャリアカウンセラー(私はGCDF)として個別相談をしていたのですが、エントリーシートES)の相談を受けていると、最近の学生の文章力は落ちているなあ、と痛切に感じます。大学受験のテクニックで学ばなかったのでしょうか。

お誘い戴いたのは都内の私立大学で、学生相談が増加する4~6月の短期間業務です。私は元採用担当者でしたので、相談内容は基本的なセミナーや相談後のES指導模擬面接が主でした。大学毎にレベル感は違いますが、基本的なスキルは同じです。相談を始めてみると、ESの書き方について基本ができていない(というより知らない)学生が多いです。私の授業では「ESは大学のレポートの書き方を応用すべし」と伝えてきましたが、それ以前の大学受験テクニックもES対処法には役立つと思います。例えば以下の3点です。

・「全体像」を理解すること

すぐに最初の質問に回答するのではなく、全質問を見てから回答する。質問の体系を理解して、漏れなくダブりなく回答すること。それは記憶することから理解することに変えることでもあり、以後の面接にも役立ちます。

・質問を良く読み「題意」を外さないこと

「具体的な経験を述べよ」では、事実を中心に書き、自己PRを書きすぎない。
「欠点は何か?」では、冷静に自分の課題を書き、改善策は述べすぎない。
意外とこの事例は多く、相手が聞きたいことより自分が伝えたいことを書きすぎて、題意とズレがあります。また、大学での期末試験で有用な「こじつけ」は、あまり通用しません。

・「会話調口語体)」で書かないこと

「最もチカラを入れたことは?」という設問に「私が最も力を入れたことは~」で書き始める等。
気持ちはわかりますが、話し言葉と書き言葉の違いがわかっていません。会話調では字数が増えますが、相手に伝わる情報量は意外と少ないです。この違いに気づけないと、ESの志望動機と面接での志望動機が完璧に同じになります。

ということで、ESで大学受験でのテクニックを使っていないのは、もしかするとAO入試等の影響があるかもしれません。また受験小論文では高校の先生が相当に指導するらしいので、自分で考えるチカラが養われていないのかもしれません。

私のように大学受験地獄経験世代は、受験を通じて語彙が増えたりしたものですが、大学全入時代で変わってきたのでしょう。大学入試改革で論述試験が始まることで、文章力が向上すれば良いですね。

 

第350号:レポート提出とエントリーシートの共通点

6月の採用選考開始を前に、学生からのエントリーシート(ES)を見て欲しいという相談が相変わらず多いです。たまたま授業でレポート課題を出したのですが、私の場合、採点基準はES選考の視点と同じです。今回のレポートをみて、このままでは苦労する学生が多いだろうなあと思わされました。

採用担当者はよく「自分の頭で考える人が欲しい」と言います。社会では正解のない(または正解が無数にある)問題に取り組むわけですから、そうした状況に一人で判断して対応できる能力が求められます。

一方、用意された環境(正解が決まっている)でしか考えたことのない学生は、そうした問題にぶつかると戸惑ったり自分本位の考え方をしたりします。例えば以下の様なものです。

1.回答文字数を決める

レポートの文字数の指定が「1000字以内」とされた場合、皆さんなら何文字書きますか?私の授業で多かったのは850~950字位ですが、700字位のものも意外とありました。勿論、指定内なのでどちらも要件を満たしていますが、ここで学生に自分の頭で考えて欲しいと思います。レポートでもESでも出題者には「この位は書いて欲しいな」という気持ちがあります。それが指定されている文字数です。つまり、700字しか書かない学生は、100点満点の問題を自ら70点満点にしているのです。

これは、企業のセミナーで学生にアンケートを書いて貰う場合も同じです。アンケートには文字数の指定は殆どありませんが、指定された記入スペースがあります。採用担当者は同じく「この位は必要だろうな」と考えながらアンケート用紙を作っています。しかし、文字数指定がないとスペースの半分も書かないという学生が結構おり、勿体ないなあと思います。

2.提出日時を決める

先日のレポートはネット経由の受け取りで、提出日だけを指定し、あえて時間の指定はしませんでした。結果、約60%の学生が締切当日提出で、90%が18時までに提出してきました。幸いなことに、相手は18時過ぎには帰ってしまうだろうと考えてくれたようです。

但し、ここでもう一歩考えて欲しいのは、締切当日には一気に提出が集中するので「先生も大変だろうな」「締切ギリギリではじっくり見て貰えないかな」という点です。教員にとって、締切数日前に届いたものはゆっくりじっくり見て何か不備があれば再提出のアドバイスも可能です。しかし、当日に届くものは到着の確認だけで精一杯で、後でまとめて処理をします。

企業のESの場合は、レポートと違って再提出を促すようなサービスはありませんが、扱い方の余裕度については同じです。なので、ホンの1日でも早く出すことをオススメします。

というわけで「自分の頭で考える」というのは、自分の都合で文字通りに受け止めることではなく、相手の状況を察して行動するということです。こういう点で学生の差は付くのです。なかなか日本文化的な視点ですが、学生にはしっかり理解して欲しいと思います。

第335号:期末試験答案とエントリーシートの共通点-論外編

  • 期末試験答案とエントリーシートの共通点-論外編

夏休みも後半となりましたが今回は採点後のちょっとした笑い話で、答案で見た漢字の誤用をご紹介します。真面目に考えると笑っている場合ではありませんが。

▼読みが似ている間違い

「コーチの知事がわからない」⇒貴方のチームに「指示」しているのは県知事か?

「リーダーとして指切らなければならない」⇒約束は指切り、会議は「仕切り」が大事だ。

「即先して行動できる」⇒「率先」なら即戦力になれたかも。

「見内のなかでは」⇒「身内」は確かに見える範囲だが。

▼字形が似ている間違い

「主張には自分の陣をもつべきだと思う」⇒君は戦国大名か?自分の「軸」は大事にね。

「区悪犯による殺人事件の放動を見ると」⇒「凶悪犯」の「報道」だろうね。

「自分の椎格を変えたい」⇒まずは正確に「性格」を把握しよう。

「認耐力は身についた」⇒その「忍耐力」は認め難い。

▼字義が似ている間違い

「部活が急しい」⇒相当に忙しいらしい。

「錠破りなことをした」⇒「掟破り」か?オーシャンズか?

「討議の決論に至った」⇒気持ちはわかるが大事なのは「結論」だ。

▼間違えた理由が謎

「違ちがえた字で違ちがえた表現をした」⇒「間違え」に目がちかちかする表現だ。

「実じつを踏まえて」⇒「事実」は小説より奇なりです。

「悪魔で書き手は人間であるから」⇒あくまで?手書き試験で何故こう書く?

私の期末試験は持ち込み不可の手書き記述式回答)なので、スマホ等での誤変換ではありません。漢字の誤用は昔からありますが、今は誤用というよりは、そもそも漢字の理解の仕方が昔と違ってきているのかもしれません。使う言葉の意味を頭で理解してから使うのではなく、見たり聞いたりした視覚・聴覚の印象で体感的に捉えている感じです。

さて、このように答案採点をしてきて思うのは2020年度入試改革のことです。周知の通り、この改革プランでは記述式問題が課せられようですが、果たして試験官は上記のような誤用についてどのような判定を下すのでしょう。

期末試験採点ならば、教員は教え子に単位を取らせたいという好意的な主観を働かせるでしょう。しかし、大学入試では客観性・公平性が求められ、なおかつ指定された期間内に膨大な処理(採点)をしなければなりません。外部機関(アウトソーシング)や人工知能(AI)による支援も議論されていますが、そうなると主観的な判断より、基本的語句、語彙数、記述量で評価されるのでしょう。こうした誤用が見られるのも今のうちかもしれません。

第334号:期末試験答案とエントリーシートの共通点-3

残暑お見舞い申し上げます。立秋を過ぎて台風シーズンになりましたが、皆様の大学ではご無事でしょうか。この時期はオープンキャンパスで高校生も保護者も全国を移動されますのでご無事を祈ります。

さて夏休みに入り、春学期授業の期末試験を振り返っていますが、改めて答案の書けない学生はエントリーシート(ES)も書けないだろうなあ、と思わされます。逆に言うと良い答案が書ければESも上手に書けるはずです。例えば「分析せよ、論ぜよ」という試験問題の場合、良い答案は「文頭」に、ズレた答案は「文末」に特長があります。試験でよく見る具体例を示します。(教員としても、採用担当者としても、私の採点ポイントのひとつです。)

良い例(接続詞の使い方で論理がちゃんと構成されている)
⇒いわゆるPREP法Point、Reason、Example、Point)

『~は△と△とで構成されており、~は××といえる。

何故なら、(というのは、)~だからである。

例を挙げると、(例えば)~ということがある。

もう一つ例を挙げてみると、~ということもある。

以上のことから、~である。そして、今後は~。』

事実を元に見解を展開するのが「分析」の基本です。これは就職活動で求められる「自己分析」でも同じです。実績に基づかない論じ方は、以下の通り説得力がありません。

ズレた例(根拠のない未来志向は説得力がない)

『~と考えたい。

~のスコアを上げたい。

~と心掛けたい。

~たら良いと思っている。

~に挑戦したい。』

志望動機のように未来への希望を問われているのならともかく、自己分析自己PR)を求められているのに希望的観測を書かれても困ります。試験のヤマが外れても、問われていることに対して論理的に回答している答案は救いようがありますが、この基本ができていなければ不合格です。

ESは奇をてらった能力を見るのではなく、会ってみるのに十分な基本があるかどうかが大事です。名作小説にする必要はありません。基本がない個性だけでは変な人になります。 答案を方程式に例えれば、「公式=基本」「変数=個性」です。数百字の小論文・試験答案・ESはこれで十分対応できると思います。基本をしっかり身につけ、あとは変数(豊かな体験値語るべき事実)を充実させることですね。そうした実績を積み重ねるためにも夏休みはあるのでしょう。

第327号:言文不一致ESのススメ

江戸時代までは、話し言葉は口語体で書き言葉は文語体を用いていたが、明治時代になると夏目漱石や二葉亭四迷らによる言文一致運動が起きた・・・、というのを日本史で習いませんでしたか?元々、日本語は書き言葉と話し言葉は別々の発達をしてきたそうですが、ペンを取って手紙をしたためるよりメールやLINEで連絡を取るようになった現代では、若者の言葉はしっかり言文一致になってきたようです。そしてこの影響がエントリーシート(ES)の書き方に現れています。

ESの採点基準はいろいろありますが、例えば限られた文字数でできるだけ多くの情報を伝えるスキルを把握するには、数字、漢字、固有名詞を多用しているかを見れば良いです。また、無駄な描写をせず、できるだけ簡潔な表現をしていることが望ましいのですが、それには冒頭で述べた「話し言葉」と「書き言葉」の使い分けができているかで判断します。実際に私が見たESの例で見てみましょう。

▼学生の書いたES

「私の学生時代の1番エネルギーを注いだ経験はアルバイトです。私は、高校時代から苦手だった初対面の人とのコミュニケーションを少しでも克服しようと思い、あえてアルバイトは百貨店のテニスショップでの接客を選びました。最初はドキドキの連続でした。しかし、目標を持ってはじめた以上、逃げてはいけないと思い、誰よりもはやくお客さまに挨拶することを心がけ、取り組みました。 アルバイトを始めて2年以上になりますが、今ではコミュニケーションに対する苦手意識はなくなってきましたし、また、最近では店長から「2年前とは大きく変わったね。」と言われたことがとても嬉しく、自信にもなっています。」(283文字)

すらすらと読みやすいですが、それは文章が会話調の口語体だからです。確かに面白いのですが、無駄な表現が多く、文字数に比して読者が得られる有益な情報量(応募者の強み)は意外と少ないです。また、本人は頑張った経験なので是非書きたいのでしょうが「対人コミュニケーションが苦手」という表現を使うのもどうかと思います。読み方によってはやっと人並みになったのかな、とも捉えられかねません(どうせ書くなら「社会人にも通用するコミュニケーション力を身に付けたくて」とかすれば)。
これをシンプルに改訂してみたのが以下です。

▼改訂例

「大学入学後に百貨店のテニスショップでアルバイトを始め、2年以上頑張っています。接客業は初めてでしたが、誰よりも早くお客様に挨拶をすることを心がけ、店長から高く評価されるようになりました。」(93文字)

ちょっと無味乾燥ですね。でも、この学生の「能力」で採用担当者が得られる有益な情報はこれくらいです。文字数が半分以下になりましたので、更にまた別の能力について書けば当初のものより倍以上の情報を採用担当者に与えることができます。言い方を変えれば、当初の文章は面接の会話用して改訂例をESや履歴書の文書用使い分ければ良いのです。

ところが、学生の中には履歴書やESや面接の文章・文体が、全部同じの「超言文一致」の人がいます。何が原因かはわかりませんが、ツイッターやLINEでどんなに長時間呟いても、書くための訓練をしなければ文章力は向上しません。是非、メディア特性を活かした表現をして欲しいものです。

第322号:期末試験答案とエントリーシートの共通点-2

もうひとつ期末試験もエントリーシートも選考基準で同じだと思う点をあげます。それは採用選考基準が教員(企業)毎に異なるということです。大学は正解のない課題に取り組む場ですが、そうした考えが身に付いていない学生には悩ましいことでしょう。言い換えれば、大学の試験に対処する知見があれば、就職活動での選考にも対処できるということです。

前回あげたエントリーシートの書き方については、比較的どんな科目や企業でも共通だと思いますが、それは誰でも求められる基本的なスキルだからです。これらは単位認定(選考合格)のための必要条件でありますが、(私の場合は)これだけでは十分ではありません。設問に対する回答が、文量も形式も整っていたとしても、表現されている内容が題意とズレている場合には合格にはできません。例えば、試験のヤマが外れたら「カレーライスの作り方」を丁寧に書けば単位が貰えるという都市伝説は私には通用しません。

しかし、選考基準が教員(企業)によって異なることは当然にありえます。以下のような視点をもった教員や採用担当者なら、カレーライスの作り方での答案でも合格にするかもしれません。

・論理的な視点が身に付いている   ⇒能力重視

・諦めずに挑戦する意欲がある            ⇒意欲重視

・この学生は前回の成績が優秀だ   ⇒実績重視

・この学生は日頃から真面目だ            ⇒態度重視

・この学生は発想がユニークだ            ⇒個性重視

・単位が取れないと可哀想だ              ⇒情実重視

こうした成績評価をするのはアンフェアですが、皆さんも大学時代に理由もわからずに良い成績が取れたり、逆に何故不合格になったか理解に苦しんだりしたことはありませんでしたか?企業の採用担当者にもそうしたことがあります。例えば、有名大学の応募者のエントリーシートはスルーパスにしたり、縁故応募者の場合などには見て見ぬふりをしたりして合格させることがあります。但しそれは初期選考だけで、最終的に内定することは滅多にないと思いますが。

というわけで、就活でエントリーシートを出して(これは面接でも同じだと思いますが)、通ったり落ちたりする現象がおきますが、それは普通のことで、学生側の理由だけではありません。

もし、いくら回っても全然、選考を通らないならば、それはきっと必要条件をクリアしていない学生側に理由があります。そこを改善しないで数多く回っても結果は変わらないでしょう。逆に、いくつも内定を取る学生は、こうした必要かつ十分な条件を満たしているからでしょう。

こうした現象は不合理なように見えますし、学生には納得できないことかもしれません。しかし、それは社会人(採用担当者)も同じです。社会で働いていると「正解」がある方が少ないですね。より良い答えを考えながら、模索して生きていく。大学の試験はそうした点で採用選考と同じだと思うのです。

第321号:期末試験答案とエントリーシートの共通点

期末試験答案の採点も佳境を迎えているところですが、試験の終わった学生(3年生)からはエントリーシート(ES)を見て欲しいという相談も増えてきています。企業(採用担当)出身のキャリア教育担当教員としては、いつまでも採点が終わりませんが、無数に答案を見ていると期末試験もESも選考基準は同じだと思わされます。

私が授業で学生に口を酸っぱくして伝えているショート・レポートや答案の書き方の注意点は難易度順に以下の通りです。こうした書き方は、中高時代に習っていないのか、マークシート中心の大学受験では必要なかったのかわかりませんが、出来ていない学生が相当数にのぼります。

1.量があること(答案に空白エリアを作らない)

2.見やすいこと(誤字脱字は勿論、私の授業では鉛筆は不可)

3.漢字を使うこと(文字数を圧縮でき、知性も伝わる)

4.自分の意見(学んだこと)があること(聴いたまま書かない)

5.事実+意見であること(単純な感想を書かない)

6.前向きであること(否定的表現を語彙でカバーする)

7.品格があること(読者の心情を意識した書き方)

そして、実際に答案(ES)の採点をしていると、以下のような気持ちにさせられます。

1.結論から書け

⇒最初の2~3行で先まで読む気がおきるか。採用担当者ならすぐにNG判定で読むのを

やめられますが、大学試験では先が面白くないと判断できても読まねばなりません。

2.問われていることを書け

⇒山が外れてとにかく自分の覚えていることを書くのは、諦めない姿勢として評価出来ますが、

それが設問とどのように関わるかという意味づけ(論理構築)がないとNGです。

3.読める字で書け

⇒残念ながら私は考古学者ではありません(象形文字は読めない)。

最近、ますます読みにくいクセ字・悪筆が増えています。

「採点」より「解読」に時間がかかり苦労させられています。

こうしたライティング・スキルは大学でも教えるべきことなのでしょうが、如何に多くの学生が「読まれる」こと意識した文章を書いていないか、教えられていないかがわかります。今はちょうどシラバス作成の時期でもありますので、上記内容は「評価基準」に書いておこうかと真剣に検討中です。

第248号:期末レポート採点とES評価

大学の期末試験の時期になりました。私の授業(キャリアデザイン系科目)では、筆記試験ではなくレポート提出を求めています。半年ほど前のコラムで、私のレポート採点基準は企業のエントリーシート(ES)の評価基準と同じであると書きましたが、レポートとESを一緒に書くようになったこの時期だからこそ、学生には大事にして欲しいと思います。読まれることを意識した書き方は、相手を動かす文章力ですから。

前回お伝えした採点基準の中に、『前向きであること』と『品格がある』というものがありました。これらは採点基準の中では上位に位置するものですが、わかりやすく言えば、そのレポートを読んだ相手の気分が良くなるということです。ここで学生が勘違いをしがちなのは、相手にお世辞を使うのか、ということです。「自分に素直」でありたい学生は、嘘やお世辞をつくのが嫌いで、「自分をもってない」と宣います。しかし、試験ではそうはいきません。それで評価されることに気づいてないと、単位は出ないし、就職試験も通りません。

具体例をあげると、『前向きであること』とは、講義を聴いて感じたことだけを書くのではなく、そこから更に原因の分析や将来への対策も書くことです。私の講義では、キャリアモデルとして偉人の業績を紹介したり、ユニークな学生生活を過ごした先輩学生に体験談を話して貰ったりしています。以前であれば、多くの学生が「もっと頑張らなければと思った。」「この人のようになってみたいと思った。」等の感想が大半でした。しかし、数年前からは「私とは違うと思った。」「今日の話を聴いて不安になった。」等が多くなり、「~が不安だ」「~が不安だ」の感想文のオンパレードです。

私は、「不安なのは十分わかったから、では、その不安の原因は何で、どうすれば良いかと書かなければ単位はだせません。それがキャリアデザインです。」と伝えています。それを何回も繰り返すことによって、徐々にではありますが、学生の書き方が不安の向こうまで書くようになってきます。

もうひとつの『品格がある』とは、授業でゲスト講師が来た際に「お話しから何でも感じたことを自由に書きなさい」と指示しますが、仮にその話がつまらなかったり分からなかったりした場合でも、「今日の話はさっぱりわかりませんでした。」とか「言いたいことがわかりません。」という表現をせずに、相手に配慮した書き方をするということです。

例えば「今日の講話は私にとって未知の分野で新鮮だった」とか「お話しを伺って、自分の理解力の未熟さに気づかされました」等の大人の表現をするということです。単純な話者なら喜んでくれますし、鋭い話者の場合は自分の話し方を反省します。いずれにしても、こうした感想文やレポートは相手に評価され、相手の行動を促すということです。

こうした文章を書くためには、ボキャブラリー知識)と感情コントロール自制力)と戦略的思考計画性)が必要です。それこそが、大学で教えるべきことであり、企業や社会が求めていることでしょう。皆さんも、主催された社会人講演会で、学生の感想文をゲストに見せるのに冷や冷やしたことはありませんか?こうした点を指導しておけば、安心ですよ。