第349号:大学教員間の評価基準の違い

最近、教え子から「良い成績をくれたのは先生だけです!」と言われることがチラホラあります。面白いことに、こういう学生の方が就活でうまく内定を取っていたりしますし、就職課にもちゃんと内定報告をくれませんか?どうも純粋なアカデミック教員と社会から大学に入った教員とには、授業方法だけではなく、評価基準にも大きな違いがあるようです。

 

私の授業は社会人のビジネスマナーの視点でみていて、遅刻・居眠り・私語・無用なスマホ厳禁等、うるさいですが、そんなことが企業訪問で役立っているのかもしれません。成績を甘く付けているつもりはありません。また授業によって採点基準は変えています。低学年では基本のビジネスマナーを、高学年では発信力を。この評価基準は、私が企業での人材育成時代の育成手法(カリキュラム)と同じで、実は採用選考基準(一次では基本を、二次では個性を、三次では・・・)とも同じです。

 

一方で、純粋アカデミック教員のモチベーションは、自分の研究テーマの方が中心で、その次は自分の研究室の学生、その次に一般講義での受講生となっているようで、一般の学生の教育や評価についてはそれほど労力をかけていない(かけられない)ようです。それに、純粋アカデミック教員は、自分のゼミ生ほど成績が甘くなる人情も働いているような気がします。私の授業でのレポートの書き方を見ていて、どう考えても単位は出せないような高学年の学生が、何故か卒論を立派に仕上げて卒業していきます(どんな卒論を書いたのか見てみたいです)。

 

大学の同僚からも「座学の成績が良かった人より、演習の成績が良かった人や部活など別の活動にエネルギーを使っていた人の方が就活の戦績は良かったです。」ということを聴きました。

 

そもそも大学と企業の求める能力には、同じ部分も異なる部分もあります。大学病院でも研究型の専門医と実戦型のERではスキルが全く違います。基礎研究を事業の中心とする医療製薬業界なら前者の評価が高いでしょうし、販売やマーケティング系の事業なら後者の方が求められるでしょう。

 

私は修士論文のテーマで「大学と企業の求める力のミスマッチ」を扱い、大学の教育メソッド改善の提言にまとめました。提言はシンプルで「アクティブラーニング」と「越境学習(留学・インターンシップ等)」の効果をうたい、授業手法の改善と学生の自主性の発揮環境をつくることです。

あちこちで実施されているアクティブラーニングは、社会の視点で見てちゃんとやれば、効果はありますよということです。逆に、指導者のファシリテーションスキルや学習者の事前知識が不十分では雑談で終わることもあります。授業評価アンケートでは、楽しい授業として人気は出るかもしれませんが、教員も学生もやった気になるだけ、ということもままあります。

 

大学を取り巻く時代も環境も変わったのに、現実を見ないでそもそも論ばかり論じ(まあ、そもそもこれが教員の性ですが)、実行プランの作成も行動もない・・・。

どっかの魚市場の引っ越しのような議論をしていてはいけません。どちらでも良いから早く動かないと現場の中小企業(中小大学)が破綻してしまいます。

第348号:似て非なる入試改革と採用改革の陰で

4月になり、新入生&新学期の授業で大学は活気づいています。今年も多くの若者が大学の門をくぐりましたが、皆様の大学では如何でしょうか?少し前の報道の大学受験者数ランキングで皆様もご覧になったでしょうが、なんと法政が全国2位になって教員である私も驚きました。その理由はやはり、最近増えている入試改革(入試方法の多様化)が大きいように思います。それは企業の採用改革と似ていて、入り口を工夫して母集団を増やすことですね。

 

企業がマスメディア採用からダイレクトリクルーティングという多様な採用活動を展開し始めたのは、大きくて(志望動機の)薄い集団より、小さくても濃い集団を狙ってのことです。応募者の指向性に合わせて受験スタイルを変えて志望動機を高めるという手法は似ていますが、企業では応募者からの受験料収入がありませんから、いたずらに規模を大きくできないのは異なるところです。

 

こうした入試改革と採用改革が同時期に行われている背景にあるのは少子化で、構造的に売り手市場が続きますから、ますます志願者に合わせた入試・採用改革は行われるでしょう。しかし、それは結局限られたパイの奪い合いに過ぎません。法政のような都市圏のメガ大学が受験者を集めて派手に取り上げられる陰で、逆に地方・郊外の小規模大学では逆に受験者・入学者の減少が起きています。そしてこのままでは、この問題(大学間学生数格差)はますます激しくなり、経営がたちいかなくなる大学も増えてくるでしょう。

 

結局、大学も企業も、次の課題は、奪い合いから育成に向かうことです。大学であれば、若者人口は減りますが、社会人・留学生を迎える施策は多くの大学で成されてきました。これをもっと本格的に進めなければなりません。しかし、社会(企業)から大学に移った教員から見ると、大学の授業は良いものが多いのですが、良さを伝える工夫はまだまだです。そもそも教員がその良さに気付いていない方が多いですし、そういったことに無関心の教員も多いです。

企業にとっても、厳選採用ではもたなくなってくるでしょう。次はそこそこの人材をできるだけ早くデキル人材に変えていく能力開発が重要になってきています。しかし、企業の多くはバブル崩壊後、採用担当者や能力開発担当者の人員削減を行ってきたので、自社で育成する技術を忘れかけている企業が増えてきています。

 

手前味噌ながら法政の田中総長もそこに気付いており、受験者増をよろこびながらも「今は拡大路線ではなく、教育の質を高める時だ」と述べています。

人類の歴史が、縄文(狩猟)文化から弥生(農耕)文化に変わっていったように、持続可能な社会にしたいなら、資源は奪うものから育てるものに変えていかなければなりません。青森県の三内丸山遺跡の発掘が進んでいますが、この遺跡の脅威の発見は縄文時代でありながら農耕もしていたことです。日本人はこうしたハイブリッドが得意なのかもしれません。そうした想いを新たに大学も企業も新年度を頑張っていきたいものです。

 

▼参考URL:「法政、なぜ関東の志願者トップ 和服総長の勝利宣言」(日経スタイル)

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO14950530V00C17A4000000