第427号:無人島では「個性」は生まれない

活相談で「個性」を発揮したいという学生は多い。自分らしさというか、自分の持ち味を発揮したいという気持ちは分かる。
だが、言われてみて気づくものだが、「個性」は社会があって初めて生まれる言葉(概念)だ。無人島に1人でいれば、「個性」は生まれない。
更に、職業にする、プロになるというなら、もう一つ視点を上げなければならない。それは、他者(回りの人)をよく見て自分の「個性」が何かに気づくことだ。「他者を意識せず、自分らしくありたい」というのは、そうして視野の広さをもってから言うべき言葉だ。
最近、こうした子供が増えている気がするのは、大学受験の勉強の仕方にあるのかもしれない。以前の学習塾は、大教室で講師の解説を聞く「講義型」の授業が多かったが、少子化のせいか、「個別指導型」が多くなった。
家庭教師が自分のためだけにカリキュラムを考えてくれるのは良いけれど、逆に自分にあった勉強方法を自分で考える力を使わなくなるから、知らぬ間に「自主性」は必要なくなるし「個性」も発揮されない。
見かけは、大教室型の方が個性のない子供を大量生産しているようだが、大教室には「お目こぼし」「潜り込み」「敵前逃亡」「代返」等々、逃げ道にあの手この手の余裕があったと思う。
オンラインの授業や就職セミナーばかりになり、学生の行動がわりと正確に定量的に把握・分析できるようになって逃げ道がなくなったせいか、今年度は極端に履修登録数・参加希望者数が減っている。
人の成長の仕方も教え方も、多様であった方が世の中は面白いと思うし、その方が「個性」が発揮された社会だろう。今までのあり方を全否定して子供の承認要求に応えてばかりでは、結局、みんな同じタイプになって「個性」を失った社会になる。
結果、「私は褒められて伸びるタイプです!」と堂々と「個性」を主張するようになる。
人類の知恵を一瞬で共有できるIT社会は便利だが、人が画一化する(洗脳される)のもたやすくなる。それはとても「生きづらい」、つまらない社会になると私は感じてしまう。