第426号:個性(自分らしさ)を発揮するために

外語大に来てここの学生を育成するために、改めて「語学」という学問を囓っているが、なかなか楽しい。
英語では、「I」だけだが、日本語では「私」「俺」「手前」「自分」「小生」「吾輩」「あたし」・・・と多様にあることは中学生でも知っているが、それが文化心理学による「相互独立的自己観」と「相互協調的自己観」による、西欧と日本(アジア)との違いと知った。
それがidentityという言葉の有無にもなる。
言語についても、グローバル言語ローカル言語があって、その言語の設立背景を探ると、英語というのはかなり特殊なものだとわかった。
東京外語大が「言語学部」を、「言語文化学部」と「国際社会学部」に改組した理由がわかって、更に新設された「国際日本学部」の意義も見えてきた。
新しい大学で授業をする時、最初に必ずやることは、その大学のルーツを探ることだが、これはいつも思わぬ発見があって楽しい。
20代に法学から学びはじめ、社会人になったら、物理学、電気工学に寄り道してから経営学、経済学、社会学ときて言語学に辿り着いた。
今までの私の学問の学び方は、どちらかというと理系(理論)型のスタンスだったが、ここにきて言語学(これも文系の学問では理系的)になり、多分、これから文学・文化人類学に向かうだろう。(最後は哲学か宗教か天文学かな。)
なんのことはない、初めての学生時代に履修していた一般教養ばかりじゃないか。あの頃は学んだのではなく、単位のためだけにとっていただけが、それでもかすかに知識は残っていて、今になってふっと意味が見えてくる。選択必修でなければ履修していなかったなあ。早く専門科目を学びたいのに無駄だなあ、と思っていたのは間違いだった(というか意味が必修科目の意味がわかった)。
当たり前のことに今頃気づく。
インプットしていないものはアウトプットできない。
「いつかわかる」は今だったのか。(^0^)
こんな学び方のキャリアを、来春は学生に教えてやりたい。この大学を目指す高校生にも教えてやりたい(是非、わかって入学して欲しい)。
実を言うと、大学進学で最初に考えていたのは建築学科で、次が外国語学部や言語学科だった。時代が巡ってまたスタートラインに立つのかな。多分、若い頃より深く早く学べるだろう。
読書が楽しくて仕方ない通勤電車にて。
(でも、こうして書いていないと寝落ちしてしまいがち。)
芸術、読書、運動、快食 etc.それぞれの良い秋の週末を。(^0^)

第425号:採用担当者もリストラされる

来春の就職活動に向けて大学でのガイダンスの準備に追われている。コロナ禍といっても、業界全部がわるいわけではないことが、企業の採用意欲の差でわかる。
マスコミ報道はいつも一般的な平均値だから、そんなものに右往左往されるようなら、厳しい言い方だが、大学で何を学んでいるのか。言い方を変えれば、大学生ならマスコミの少し先や少し奥にあるものを見る眼をもつことだ。そうした基本的なアカデミックスキルを教えていない教員の責任も大きい。
いや、大学教員は昔からそんなことを教えていたのか、と考えると今とそんなに変わらない。昔は大学生の学力と自尊心に助けられていた。変わったのは大衆化した大学の学生の方だ。そして、少子化のいま、今後、この傾向はますます続くだろう。
しかし、今のままでは大学進学率もこれから低下すると思われる。大衆化大学を支えたミドル層が低迷し、結婚も出産も減るデフレスパイラルに入っているからだ。それでも、循環型変化構造的変動を見極めて戦略を立てるなら道は拓けると思う。
就職不況に話しを戻すと、こんな時にいつも出てくるのは、過去50年振り返って見ると・・・たいしたことはない、歴史は繰り返す、という論だ。私はこれはこの20年のITと人口減少という基盤構造が変動しているので、戻ることはないと思う。
航空産業の新卒採用停止が報道された。空を目指す学生には気の毒だが、冷静に世界の状況を見れば、あまり楽観的には見られない。今の職員を守るだけでも精一杯だ。(しかし、V字回復は起こりやすいと思う。そうした急降下急上昇に対応してきたのも航空業界の雇用戦略だった⇒結構、勉強になった)。
私が気になるのは、大規模な新卒採用が停止すると、企業人事の採用・能力開発人材もリストラされることだ。それはバブル崩壊の時も、リーマンショックの時にも見てきた。結果、企業の人事からできる人材採用・育成のプロが独立企業・転職する。そして弱体化した企業人事をクライアントにする。
それが人材ビジネスが進化してきた過程だ。企業人事よりも人事コンサルの方がどんどん強くなっていく。
翻って、大学教育はどうか。
大学教育は社会のこうした状況に対して何ができるのか。
少子化で大事に育てられ、いつまでも月夜見にかかって夢をみせられ、承認要求が強くなり、学び取るチカラと自己責任という言葉を失っていく。
来期の構想を考える時期、現実離れの妄想や空想に耽る帰宅電車。これが一番の居眠り防止策になる。
そういえば、小学生の頃から空想ばかりして、考えの海を泳いでいた。あの頃は空も飛べたし七つの海も渡れる気がしたね。
いまはそんな空想も、アニメが与えてくれるのか。早く気づかないと、無限列車に食べられちゃうぞ。
全集中、夢の呼吸。(^0^)

第424号:課題型授業は究極の自主性を求める

秋学期に入り、またオンライン授業が始まったが、ブランクがあると勘を取り戻すのに時間がかかる。特に新しいスキルは、繰り返さないと定着しないが、オンライン授業は試行錯誤の連続だから、定着する前に修正がかかりセオリーに至らず、ノウハウの積み重ねだ。
学生にいろいろと他の授業の様子を聞いてみると、教員の指導スキルを指摘する者も多い(ゴメンねー。しかし、一度、こっちに来てみてやってみろよ、と言いたい)。教員にもいろいろあって、教育やITの専門家もいれば、まったくダメな教員も、いる。でもね、全員無免許運転だと知ってるか?大学教員には教職免許など求めらない。
特に非常勤講師は悲惨だ。大学のサポート(賃金待遇含)での正規教員との格差があるにも関わらず、同じものを求められる。複数の大学でやっていると、ツールもバラバラだ。同じ講義内容を他大学で行うことによって生産性をあげて何とか生計を立てている方は本当に気の毒だ。同じ講義をいきなり異なる3つの言語でやれ、と言われているようなものだ(正規教員と同一労働同一賃金にして欲しい)。
学生から非難囂々の「課題型授業⇒課題を紙1枚で出してレポートを求め、教員不在」にしたくなる気持ちもわかる。そんなものに高い授業料を払えるか!という学生に聞きたい。「君達はいつからそんなに学習意欲があがったんだ?」
偏見だが、課題型授業だって見方によれば究極の自主性自分で考えるチカラを求める教育だ。その対応の仕方だって無数だ。がっつり読書して仕上げるも良し、適当にやって稼いだ時間を他の勉強や部活や趣味にあてたって良いし、何をするにも自由だ。それが「学生」というものだ。学び方まで全部求めるのは「生徒」だ。
いつかわかる。「コロナ禍には、自由な時間があったなあ」と。
就職したら同じことを気づかされるだろう。社会に出て働くと、如何に学生時代に時間があったのか、と。「戻っておいて私の時間」そんな歌が昔にあった。
徐々に以前の形態に大学は戻っていくだろう。でも、この厳しい時代の体験は無駄なことばかりではない。自分を取り戻せる機会も多い。昨晩の講演でも話した。「悲観は気分、楽観は意志」。そんな先哲の知見を紐解くのも今だからできることだ。
そして、線路は続くよどこまでも。

第423号:「どうなるか」より「どうするか」

とりとめもなく考えた。

来年卒(業界では21卒という)の学生の就活も終わらないままに、再来年卒の学生(業界では22卒という)向けの就活イベントが始まってきた。「夏インターンシップ」という名ばかりの早期の囲い込みが年々盛んになっている。

就活は「卒業前の半年に行うもの」というのは、完全に昭和の昔話になり、今は上記の二世代を同時に相手にすることが、企業採用担当者でも大学キャリアセンターでも当たり前になり、誰も疑問に思わなくなってきた。これもコロナに負けない世界に冠たる新卒就職市場で、世界から見れば謎の現象だろう。

企業採用担当者の会社説明を聴講していると、その内容が千差万別で面白い。感心するほど面白いものもあれば、ネットで見ればわかるものばかりで、来なければ良かったというものものある。採用担当者には「最近の学生は個性がない」と言う方も居るが、意外と世間が見えてなくて、自分自身が他社との相対評価にさらされて没個性と見られていることに気づいていない採用担当者も居る。

学生との質疑応答での定番の質問に「御社の求める人材は?」がある。以前は「コミュ力」「巻き込み力」等々、滔々と語られていたが、最近は「特に求める人材は設定していません」という回答する採用担当者が段々と増えて来た。

おそらく、学生の言う「求める人材」というのは「どうすれば内定者になれるのですか?」という面接での『正解』を求めていることに気づき、嫌気が差してきたのだろう。セミナーをやればやるほど、学生がそれに合わせて染まってくるのが嫌なのだ。求めているのは「生徒」ではなく「学生」なのだから。

そもそも論で語るには、
今の社会も大学も学生もあまりに多様化してしまった。

しかし、本当に多様化しているのか?と自問すると、逆にネット時代になって均一化がますます進んでいる様な気がしてならない。それは昔から気になっている「高度情報化時代」ではなく「高度受け売り化社会」になったことだ。

この多様化と均一化が同時に同じ人間の中に存在しているのが判断を難しくする。思考や思想は大差ないのに、自分の都合は様々だから、そんな人とは益々、付き合いににくくなってくる(そういう人になれたら幸せだろうな、と思う事もあるが)。

在宅勤務では、自分と向き合う読書の時間も取れるが、逆にネットに張り付いている人も居る。自分を取り戻せる時間が、逆に自分を失っていることになった人も居る。

4月からずっとコロナ対応で走り回っていたが、早いもので7月、夏に向かう節目だ。自分はこの3ヶ月、何を残せてきたのか、これからどうなるのか。

いや、とある好きな企業のフレーズを呟きながら頑張るとしよう。
どうなるか」より「どうするか」だ。

第424号:対面&オンライン授業と採用選考

大学の対面授業がすべてオンライン授業に切り替わり、リアクションペーパーも手書きからキーボード(オンライン)に切り替わった。

以前、私の授業を受けた学生は、「それは先生の授業の看板がひとつなくなった(今年の学生は楽になった)」と思うだろう。私の授業でのリアクションペーパーは、求められる量も質も相当にハードだった。何より、他の授業で標準的にある、授業最後の10分での記入時間というがなく、授業中に集中して書き上げないといけないから(授業後の提出は基本的に認めない)。フィールドワークでICレコーダー無しにメモを取る訓練のようなものだ。90分があっという間に終わる。

この二つ(対面&オンライン)は、育成する能力の違いとして捉えており、前者(対面)はリアルタイムに記録・発想する能力で、後者(オンライン)は熟考して再構成・表現する能力だ。だから、後者は手書きやスマホで書くのは非常に効率が悪い。

どちらも社会では必要な能力だが、今の学生はリアルタイムのコミュニケーション機会をどんどん奪われて、音楽で言えばアドリブ演奏ができなくなった。それは失敗を恐れていて、失敗を経験と捉えて応用力を高める機会を失っているということだ。

故に、前者を優先している。後者は他の授業でも学べる力だろう。この授業だけで考えずに、学生が受けるの他の授業を考えて設計することが大事だと思う(この授業でしか学べないことにこだわっている、これは私の性分だ)。

翻って、私の採用担当者時代は、この二つ(GDを入れると三つ)の能力をそれぞれ測定していた。採用選考手法は、単なるバリエーションではなく、評価する能力の違いだ(同じ手法を異なる時間・評価者で行うのは、評価の深掘りとバイアスの修正だ)。

なので、就活で言えば、前者(対面)は面接で、後者(オンライン)はESである。実際、この二つの選考手法は、質問は同じでも、採用担当者の見ている能力は異なる(はずだけど、そこまでわかっている採用担当者はどれだけいるのかは疑問)。

私の授業での好成績者は、おそらく殆どの企業において、初期選考を省いて人事部長面接から入れても大丈夫だと思う。授業を通じての能力開発と評価は、企業採用選考とは比較にならないと自負している(採用選考は時間がないから仕方ない)。就活結果もそれを物語っている。なので、ドロップアウトする者も少なくない。

故に、コロナ前の私の授業では、前者(手書き)はリアクションペーパー、後者(キーボード)は数回のショートレポートで成績評価していた。書き方も、前者は時系列型で後者は因果律型で書き方の違いも理解させていた。

更に、グループ・ディスカッションGD)では異なる能力(組織における対人スキルとグループダイナミクス)を評価し、期末試験ではそれまでの知見を総動員して、指定された時間で構造的な答案を仕上げる力を総合的に見ている。

この授業形態になるまで数年かかっているが、改めて振り返ると上記の通り、私の企業時代の採用選考スキルがベースになっているとわかって感慨深い。

今回のオンライン授業だけの環境は、過去に経験したことのなかったものだが、育成する能力の(比重の)違いだと考えれば、良い授業改善の機会である。新しいノウハウが相当に得られた(京都大学のMOSTで学んだことが、こんなに実践で使えるとは。コロナがなければ使わずに忘れてたかも)。

生き残る者は強いものではなく、変化したものである、というダーウィンが言ってない言説も、ダーウィンを聞き齧った人が言いたくなるだろうなあ、と思う(これは事実と意見の違いを知る良い例だ。今度、授業で使おうか。)。

・・・そして授業(の進化・深化)はまだ続く。

第422号:休学のススメ

とある有望な学生からのメッセージ(一部抜粋)。
大学生(若者)はこうでなくては!と深く感動した。

「今年度は休学することにしました。
経済的影響もありますが、何より最後のキャンパスライフをこの状況で過ごしたくはなかったので、以前から考えていた休学に踏み切りました(^ ^)

早速、島根県の会社で4月から働いています。5月いっぱいは島根でフルタイムで働くので、また色々と経験出来そうです。

時間はこの先沢山あるので、今年度は色々やりたい事をしてみる予定です!」

このご時世、不安なく過ごせる人はいないだろう。
大学で就活相談を聞いていると、この先「どうすれば良いのか?」というものが多いが、今回の状況は過去にも例のないことだから、相談される側も明確な回答はもっていない。

しかし、「不安」への対処法は大学、というより過去の人智にいくらでもあり、誰でもそこから道を考え出すことはできる。

その答えは人によって異なるが、まさに若者が主張する「個性」や「多様性」の発揮機会だ。それを大事にして欲しいと言う若者の多くが「正解」を求めて「不安」になっていることに気づいているのだろうか。
挫折経験がない(本人は気づいていないことが多いが、自分の壁を越えたことがない)という若者にはチャンスともいえる。

心理学では「不安」と「恐怖」は違うと教えているはずだ。
不安」は対象が不明で、その相手は内部自分)だ。
恐怖」は対象が明確で、その相手は外部社会)だ。

いつも授業でしつこく言っている持論だが、「不安」には「知識」「仲間」「行動」が有効だ。人間の脳は悩む不安)と考える対策・行動)は同時にできない。

極論すれば「不安」というのは余裕のある人の感情だ。

学生だって、期末試験前日になれば「不安」になっている暇なく、教科書で「知識」を深め、「仲間」のノートをコピーし、必死に学ぶ「行動」に出ているはずだ。

今回も始まったばかりの講義で話した。

『大学とは、どんな問題に直面しても、
なんとかできる
強い意志思考方法対応力
それを養う挑戦の場である。

失敗が財産になる貴重な場である。

故に、大学生に失敗はありえず、
     発見と経験があるのみ

本当の失敗は、何もせず諦めることだ。』

それを学ぶために、法学も文学も理学も工学も卒論もある。

たかが就活やコロナ如きに負けるほど、人類は弱くない。
(話しが大きくなってきたな・・・。

こうした授業を受けた学生が、冒頭の様な思考と行動にでてくれたなら、教員としては至福の至りだ。キャリア教育の本当の成果とは、成績表の結果などではなく、その後の人生に大学の学びを発揮できたかだ。

更に、その行動が、自分のため、他者のため、社会ためだ、と考えてくれたなら、思い残すことはない。

ということで、今年の就活が不安なら、いっそのこと止めてしまっても良いだろう。来年の就活は(おそらく)V字型に回復するはずであり、その際、このような行動を取れた学生が低い評価をされるはずがない
(もっとも、何もせず引き籠もって低俗なTV番組が言う「コロナ疲れ」「コロナ太り」になっていたら論外だ。)

今こそ、若者の根拠の無い自信と行動に期待したい。
「俺たちの旅」とか再放送しないかなあ。
観たい名作ドラマがたくさんあるのに。(^0^)

第421号:在宅勤務の雨の日に考える

在宅勤務には20年近いフリーランス業務で慣れているが、常時ネットの向こうに誰かが居るのと居ないのでは、ちょっと感覚が違う(自宅でもネクタイをしてZoomに向かうとか)。日本中が在宅勤務パンデミック状態になっており、こうした経験についても日本社会は学び、対策を身に付けて行かなければ。

コロナの姿がだんだんわかり、長期戦が見えてきた今、人類が学ぶべきはウィルス対策と共に生活対策だ。長い人類の歴史の中で、一般の人がネット環境に対峙する様になったのはたかだかこの30年だ。冷静に考えれば、それが如何に便利で異常で難しいことだとわかる。怖いのは、30年しか生きていない人(生まれながらのデジタルキッズ達)は、この30年が人類の生き方のすべて(普通なこと)だと思うことだ。

そうしたことを、時間に追われず考えられる若者の時間・空間というのが大学というものだ。過去の文献にそうした人類の難題に対する知見は無数に保管されている。最近の焼き直しばかりの、一見わかりやすい表層的な流行本などではない、『「本」物』の本を読むために、この数ヶ月や1年をかけても良いではないか。長い目で見れば、絶対に無駄ではなく、寧ろ学生時代でなければできないことだ。

*多くの大学で殆ど対処されていないのが、図書館の資産をいま如何に止めずに、ネット上で自由に使えるようにするか、という知見だ。著作権対策、技術対策等々、これらをクリアする術が得られれば、コロナ後にも続く素晴らしい文化伝承が出来るはずだ。
(手前味噌だが、東京外国語大学の付属図書館では、学生に対し郵送での対応を他大学に先んじていち早く決めた。)

コロナというものは、そうした人類の試練だと見えて仕方がない。キリスト教が生まれたとき、イスラム教が生まれたとき、それは堕落した人間社会を修正する人類の生活対策だったとも考えられる。

*イスラム教って、宗教というよりライフスタイルのようだ。アラブのプライド高き砂漠の民の質実剛健な点は武士道と似ていて、それが日本と遠く離れた彼の地とのシンパシー(共感)なのだろう。祭り(遊び)の要素が少ないから日本では流行りにくいのだと思う。受容性の高い日本人でもラマダンはやりたくないだろう。欧米では逆に生活に遊びが多いから、質素倹約が新しい文化(生活対策)に映って流行るけど。

授業だって講義をただオンラインにするだけではつまらない。前例がないんだから試行錯誤が最高の武器であり、それを失敗ではなく経験と前向きに考えられる者が本物であり、新たな歴史を作る。(ただ、世間一般に見えるのは「流行本」だけどね。それに気付けるのが大学で学んだ者と、そうでない者との違いなのだ。)

結果、以前のやり方に「加えて」新しいやり方が手に入る。新しいやり方になったら、過去の(良い)やり方を否定するのは「知識・体験」を「教養」にできないということだ。

てなことをつらつら考える雨の日もまた、いとをかし。(^0^)

第420号:コロナショックと採用活動

この4月1日から新しい仕事場(東京外国語大学グローバルキャリアセンター)に勤務して4日目だが、予定されていた新入職者研修は全部中止となり、緊急事態宣言の対応に追われている。即戦力になってる自分が嬉しくも悲しい。(^0^;

こんな状況下でも、企業は採用活動をコツコツやっていて、就活学生は休む暇もない。就職(採用)活動という業務は、学生にも大学職員にも企業採用担当者にとっても極めて感染リスクの高い業務だ。

そのため、大学が焦ってオンライン授業対応を進めているのと同様に、企業ではオンライン選考が急速に増えている。

ある識者も言っていたが、経団連会長も会員企業に採用活動の延期を宣言して欲しい。どんな歯止めをかけても勝手にやる企業はいるが、大手企業の動向には一定の抑止力があるし、それが日本を代表する経営者の矜持では無いのか。パンディミックの加害者になっている自覚はあるのか?この議論の声が何処からも出てこないのが情けない(まあ、トップも経営危機からすれば、新卒採用などかまってられないか)。

ついでに書くと、大学毎に業務の意志決定オンライン授業の進め方がバラバラで、複数企業に勤務する非常勤講師にはエラい負担だ。各大学で指定されるツールもバラバラで困ったものだ。LMS(Learning Management System)のベンチマークやってるわけじゃないぞ(手前味噌だが上智大学の判断と指示はなかなか良い)。

下手なオンライン授業をやるくらいなら、課題図書を30冊指定して、夏休みまでにレポート30本書け、と言った方がよほど効果がありそうだ。文科省だって、この非常時くらい大目に見ろよ。まあ、百歩譲ってこれを機会にオンラインで遊んでみようか位でもいいじゃないか。一度やってみれば、慣れるものだから。

かつて大学講義が半期制や四期制ではなく、1年を通じて30回であった時なら、もっと余裕をもって授業ができていたのかも。大学改革で欧米の細かいサブセット(シラバス、ルーブリック、ナンバリング etc. etc.)ばかりちまちま入れるから却ってややこしくなっているように見える。グランドデザインができていない。

とまあ、ちょっとスッキリした。さて、明日に向けてまた頑張ろう。(^0^)

第419号:不安の3つの原因

大学行事が次々と中止・延期になるなか、大学キャリアセンターで粛々と学生の就職個人相談を受けている。大規模な企業説明会は殆ど中止になっているが、企業も学生も個別にはそこそこ動いている。

授業や就活で不安を抱える学生にいつも話していることだが、どんな時でも人間が不安になるのは以下の三つが欠けている時だ。

1.知識 ⇒だから、勉強しなさい。
2.仲間 ⇒だから、相談しなさい。
3.行動 ⇒だから、動けば悩む暇がなくなる。

*最近の学生は(ああ、嫌な言葉だ)、上記を自分で行わず、「とりあえず」やってきて全部聞こうとする。自分の意見もなしに、ただ知識だけ貰いに来るのは「相談」ではないのだが。まあ、GoogleのAIエンジンになったつもりで忍耐強く教えてあげる(これって、ペッパー君に頼めるんじゃないか?笑)。

これらは就活に限らない人間が生きる上でのセオリーだ。
先に何がおきるか知れば不安も消えるし、仲間と話せば自分だけが遅れているわけではない、変ではないとわかるし、行動すれば脳の機能の一部が取られてフルに悩めなくなる(試験の直前では誰もが焦っているが悩んでる時間はない)。

女子大での就職相談ではいろいろなものがあるが、人気の志望業界をあげるとこんなところだ。

航空(CA&地上)、旅行、エンタメ(映画、イベント企画、芸能事務所等)、出版、ファッション(衣料) etc.

翻って世間を見ると、コロナ状況下で大変な業界ばかりだ。まさか「逆張り」を知っているわけではなかろうが、恐るべき勇気だと感心する(寒心か?)。まあ、この状況がずっと続くわけではないからね。(^0^)

大学というところは、未知の世界に挑戦する「意志」「技術」「知識」を育むところだ。夢に向かって突き進む人には不安など吹き飛ばせるのかもしれない。

第418号:就活で健闘する短大生

採点業務もシラバス作成も終わり、就職相談業務が仕事の中心になってきた。

実践女子大学(渋谷)で日々個人面談をしていると、短大生が多くやって来る。採用担当者時代にもたまに短大生を面接することがあったが、なかなか新鮮だ。短大はどんどん減り、風前の灯火のようだが、中小企業や大手メーカーの一般事務職の求人は意外とある。

面談していて、内定を取る子の共通点は、明るい話し方に尽きる。ちょっとはじけ過ぎてるなー、と感じても意外と有名企業(メーカー)の内定をとってくるのが面白い。(逆に、暗い子は想定外に通ることは殆どない。)

短大生が気の毒に思うのは、入学してGWを過ぎたら就職指導が始まり、夏休みはインターンシップのオンパレードになることだ(勿論、全く動かない子も多い)。

そんな環境でも、面談していて優秀だなあ、と思う子がいる。「頑張ったことは?」に「学業です!」と迷いもなく答えたかと思うと、こちらからのアドバイスには必ずメモを取って傾聴している(ちなみに、傾聴力とは相手に気持ちよく話させる力だ、と学生には教えている)。

時間がなくて聞けないが、どんな家庭で育ち、どんな中高時代を過ごしてきたか聞いてみたくなる。ちなみに、短大生は、高校時代の話しもガクチカにできるのが有利だ。

こんな子が卒業して2年間働いていたら、きっとまた成長するだろう。変に時間を無駄に過ごした学部生と同じ年齢でも2年後には格段の差が付いている気がする。社会の実践ほど強力な教育はない。

しかし、短大生で優秀な子ほど学歴コンプレックスをもっていたりするが、そんなことは社会ではあまり関係ないと思う。本当に気になるなら社会人でまた大学に学びに来れば良い。今は夜間大学院だって放送大学だって、いくらでも機会はあるし、社会に出たら大学の授業(教員の実力)を見る目も肥えるだろう。

逆に、大学は学部生を教えることにもっと力を入れて、先に社会に出た短大生に負けない実力をつけさせなければならないと思う。大学によって、その教育のレベルや方向性は様々だが、人を通じた社会変革・貢献の仕事なのだから。

良い学生と面談すると、こちらの気も引き締まる。
明日も面倒だろうが、頑張ろう。(^0^)

Just another Recruiting way