第426号:個性(自分らしさ)を発揮するために

外語大に来てここの学生を育成するために、改めて「語学」という学問を囓っているが、なかなか楽しい。
英語では、「I」だけだが、日本語では「私」「俺」「手前」「自分」「小生」「吾輩」「あたし」・・・と多様にあることは中学生でも知っている。それが文化心理学による「相互独立的自己観」と「相互協調的自己観」による、西欧と日本(アジア)との違いと知った。
それがidentityという言葉の有無にもなる。
言語についても、グローバル言語ローカル言語があって、その言語の設立背景を探ると、英語というのはかなり特殊なものだとわかった。
東京外語大が「言語学部」を、「言語文化学部」と「国際社会学部」に改組した理由がわかって、更に新設された「国際日本学部」の意義も見えてきた。
新しい大学で授業をする時、最初に必ずやることは、その大学のルーツを探ることだが、これはいつも思わぬ発見があって楽しい。
20代に法学から学びはじめ、社会人になったら、物理学、電気工学に寄り道してから経営学、経済学、社会学ときて言語学に辿り着いた。
今までの私の学問の学び方は、どちらかというと理系(理論)型のスタンスだったが、ここにきて言語学(これも文系の学問では理系的)になり、多分、これから文学・文化人類学に向かうだろう。(最後は哲学か宗教か天文学かな。)
なんのことはない、初めての学生時代に履修していた一般教養ばかりじゃないか。あの頃は学んだのではなく、単位のためだけにとっていただけが、それでもかすかに知識は残っていて、今になってふっと意味が見えてくる。選択必修でなければ履修していなかったなあ。早く専門科目を学びたいのに無駄だなあ、と思っていたのは間違いだった(というか必修科目の意味がやっとわかった)。
当たり前のことに今頃気づく。
インプットしていないものはアウトプットできない。
「いつかわかる」は今だったのか。(^0^)
こんな学び方のキャリアを、来春は学生に教えてやりたい。この大学を目指す高校生にも教えてやりたい(是非、わかって入学して欲しい)。
実を言うと、大学進学で最初に考えていたのは建築学科で、次が外国語学部や言語学科だった。時代が巡ってまたスタートラインに立つのかな。多分、若い頃より深く早く学べるだろう。
読書が楽しくて仕方ない通勤電車にて。
(でも、こうして書いていないと寝落ちしてしまいがち。)
芸術、読書、運動、快食 etc.それぞれの良い秋の週末を。(^0^)