第406号:未来のマナビフェスで気付かされた宣教師精神

夏休みは学会や研究会のシーズンですね。私も教員の端くれとして「未来のマナビフェス」に参加してきました。以前は毎年京都大学で行われていた教育学のイベントでしたが、委員長の溝上慎一教授が京大から桐蔭学園の理事長に転身されてから東京で開催されるようになりました。小中学校、高校、大学、企業の現場教員・人事部員のシンポジウムや実践報告です。私もポスター発表を行ったのですが、なかなか話す機会のない高校の先生からの質問等は新鮮でした。それはまるで未開の地を訪ねていく宣教師のようです。

私の報告は「企業の採用選考基準と摺り合わせたキャリア教育の試み」というタイトルで、大学キャリア教育と企業の求める人材像(採用選考基準)のミスマッチのメカニズムと対策を報告しましたが、やはり中高校~大学~企業(社会)の世界は相当に異なり、壁は高いと感じさせられました。通常の学会ならば、専門用語や前提となる基本的な知見の説明は省略できるのですが、まるで違う分野から来られた方には言葉の使い方から気を遣います。来訪者の言葉・関心・知見・資質に合わせた言葉で説明しなければなりません。しかし、お互いが異なる領域だからこそ、こうした機会にそれぞれの世界を覗いて異なる知見から学び取る「越境学習」の意義があります。

かつて冒険家や宣教師が未開の土地を訪れて異なる文明に出会った時は、こんな感覚だったのでしょう。生死をかけている彼らとは次元が違いますが、いくつもの言語を学び、自力で生存する術を身につけ、好奇心と行動力をエネルギーに未知の世界へ飛び込む冒険の連続です。現代においても、最近流行の「兼業」や「パラレルキャリア」で異分野に挑戦する社会人も同じではないでしょうか。

こんな時に思い出す言葉は、日本の学会と米国の学会の報告の違いです。「聴く者に責任がある」「話す者に責任があるか」勿論、前者が日本で後者が米国です。日本の島国文化は価値観や言葉がわりと均一ですが、米国のような大陸文化では思想も言葉も宗教も多様です。なので、日本の学会では聴講者が理解できないと、それは聞き手の勉強不足と思われがちですが、米国では真逆です。

また思い出したのは、この感覚は企業人事時代に行っていた米国での留学生採用活動です。今は海外での留学生採用イベントが各国でたくさん企画されていますが、当時はまだ数が少なかったので、現地大学を調べて直接学内説明会に飛び込んでおりました。言葉(英語)での対応や、多様な質問に対応するのは大変でしたが、日本では出会えない有望な留学生とコンタクトできました。それは宣教師精神というべきベンチャースピリットだったのだと思います。採用担当者として、一回り成長できたと感じました。

さて、この夏休みに、学生達はどれだけ世界に飛び出しているでしょうか?面接をしていると、今は「海外留学」というのは珍しくありませんが、その中身は多種多様です。宣教師のように(?)好奇心と行動力で、大きく成長した学生を出会うことを楽しみにしています。ちなみに今回の「未来のマナビフェス」で知り合った地方大学から講演依頼を受けました。私も負けずに成長してこようと思います。

 参考URL:「未来のマナビフェス2019」
https://be-a-learner.com/manabifes/2019/