第400号:コンピテンシー面接(自己分析)の弊害-2

採用選考活動が解禁となって2週間が過ぎました。企業の内々定出しも進み、結果の有無で就活学生の顔色が日々、違ってきています。その差の原因は多様ですが、採用担当者として思い当たるのは、コンピテンシー面接の弊害で自己分析のミスマッチが発生しているのでは、ということです。

学生はコンピテンシー面接という言葉は知らなくても、企業からのエントリーシートや面接の質問で、「学生時代に力を入れたこと」(ガクチカ)とその経験から得た能力・資質(自己PR)をまとめる自己分析は死ぬほどさせられています。しかし、その自己分析のやり方に、結果を手にする学生とそうでない学生の差があるように見えます。それは分析の視点が内面か外面か、ということです。

の自己分析とは精神面についてのことで、外面のそれは行動面についてのことです。例えば、企業採用担当者が求める資質に「素直」というものがあります。これはわかりやすい言葉であるが故に、意味の差(学生と採用担当者の認知差)があることにお互いが気付きにくいのです。学生は「性格」のことだと思いがちですが、採用担当者は「行動」と捉えています。

つまり、採用担当者が「素直」と言った場合は、言われたことをすぐに実行する行動力のことを指しますが、それを理解している学生は少なく、逆に「何故それをやるのですか?」指示の意味を問う学生の方が多いです。言われたままに「考えずに動く」のは良くないこと、と思っているのでしょう。それは間違っていませんが、企業で仕事をする場合、現場の上司は必ずしも説明が上手くなかったり、一度やらせてみてあえて失敗させてから)教えてみたりします。なので、そうした社会人からは「素直でない」と誤解されてしまったります。

他にも「自分らしさ」という場合、社会人から見たそれは性格ではなく行動面のことであると同時に、他者との比較の中において現れる「その人の行動特性」です。内面の視点で見る学生は、それを「自分のありたいままにいる自分」と捉えがちで、しかもそれは他者比較すると意外とありふれたものであることに気づけていません(むしろ、内々定を取れない学生は他者比較を毛嫌いします)。

有望群の採用選考が一巡すると、企業も学生もリターンマッチが始まります。採用担当者は辞退された学生の追加募集を行いますので、これからまた一山登らなければなりません。リターンマッチする学生には再挑戦のチャンスですが、そんな学生達へ、内面から外面、精神面から行動面に気付いて貰うために、こんな言葉を伝えると良いのではないでしょうか。東日本大震災の後に、ACジャパンの意見広告で採用された以下のフレーズです。

こころ」はだれにも見えないけれど「こころづかい」は見える

思い」は見えないけれど「思いやり」はだれにでも見える

詩人・宮澤章二の『行為の意味―青春前期のきみたちに』から引用された言葉ですが、最初のハードルで躓いた学生には、きっと考えるヒントになると思います。