第213号:欝の次は躁なのか

ネット上での若者のつぶやきが社会に大きな波紋を与えています。有名人のプライバシーの暴露はゴシップ雑誌の十八番でしたが、ネットがメディア化した現在は誰でも簡単に加害者になってしまいます。今週、ついに採用面接の実況中継(当該企業は架空のものと否定)まで現れてしまいました。これまでは「最近の若者は・・・」と怒っていたのですが、どうもこれは様子が違うような気がしてきました。採用担当者にとって新たな課題が出てきたのかもしれません。

 

採用担当者に内定者や新入社員の採用において不安な点は何ですか?と尋ねると、この10年で一番多くなってきたのはメンタルヘルス(うつ病)です。何か良いアセスメントツールがないかと今でも悩んでいる採用担当者は多いのですが、今回の現象は真逆です。公共の場で、何のためらいもなく秘守すべき情報を公開してしまう、それも「2ちゃんねる」のような匿名サイトではなく、すぐに書き込んだ自分自身が特定されてしまう環境で。皆さんも、何故こんな簡単なことがわからないのか?と疑問に思われたことでしょう。私も同様に感じていたのですが、ここ数年の大学授業における学生のレポートを見ていると思いあたることが出てきました。

 

大学のレポートは、それなりの要件が整っていないと加点できないものですが、ここ数年、レポートの書き方がわからないというレベルではなく、「これを書いたら教員はどう感じるのか?」という視点がまったく無い文章が増えてきました。例えばゲスト講師を招いた講義で、講師に対しての感想を書かせると、「今日の話はイラついた。」「この講師は苦労していない。」というものから、若い女性講師に対しては「彼氏いる?」 等々、教員である私やゲスト講師が読むとわかっていながら書いてくる神経は、とてもふつうとは思えません。こうした文言を書いた学生本人に問うたところ、笑いながら返ってきた言葉が、「え?だってノリじゃないですか!」。私は一瞬、言葉を失いました。

 

こうした学生の傾向は、かつて日本青少年研究所の千石保氏が、著書『「まじめ」の崩壊』(サイマル出版会、1991年)で「ノリの文化」として指摘しておりましたが、それがどんどん「悪ノリ」してきているようです。大学講義で悩ましくなってきたのは、本来行いたい教育のスタートラインがどんどん手前になってきていることです。躾云々など親でもないのに言いたくありませんが、私もついにシラバスの評価基準に「受講態度」という言わずもがなの文言を書き加えるようになりました。

 

さて採用担当者の視点に戻ると、採用する新入社員については、欝状態よりも躁状態の方が怖いと思います。鬱状態の社員は対外的に目立つことはまずありませんが、躁状態の社員は、上記の通り、会社の内部情報を公開してしまう恐ろしいリスクになるからです。ホンの何気ないつもりのつぶやきが、会社の信用を地に落とし、取り返しのつかない被害になりえます。しかも、躁状態が軽い場合は、採用面接やグループ・ディスカッションにおいて、積極的で明るい人格と誤判断される可能性があります。

 

ロンドンの若者の暴動も、携帯メールでのささやきが集団行動を扇動しているそうですが、若者を育てている現代社会環境の荒廃という点で地脈が通じていると思うのは考えすぎでしょうか。ともあれ、今回の一連の出来事を見ていると、採用担当者も他山の石として考えなければならないと思います。

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