第215号:保護者の就職支援スタンス

最近は大学の保護者会の講演に招かれる機会が増えてきました。ご依頼内容は何処の大学でもほぼ同じで、「企業の求める人材像」「応募学生の傾向」「面接に臨む心構え」等が中心です。採用面接をしていると、良くも悪くも「親の顔が見たい」と思うことがしばしばありますが、まさかそうした機会が本当に訪れるとは思いませんでした。採用担当者はいまや親の教育成果を評価させられているのかもしれません。

講演では更に、「親としての就職支援」ということも依頼されることが多いです。しかし、これはなかなか難しいテーマです。というのは、採用担当者はエントリーシートの評価・採点はできても、添削はできないのと同じで、目の前の学生の人物評価はできても、どうすれば内定するかという答えなど持ってはおりません。ましてや応募学生以上に複雑多様な家族関係についてコメントするなど畏れ多いことです。同じコメントで、ある親御さんは満足したのに、ある親御さんは怒るということもありますし。(一歩間違えればモンスター化です。)

とはいえ、過保護にすると言うのではなく、若者の自立に親の支援というものが今まで以上に必要になった時代だというのは間違いようです。社会が高度に進んだ国家では人間の成熟(独り立ち)は遅れます。世の中が高度・複雑になるほど、求められる知識やスキルが多くなるのですから当然で、先進国には共通して見られる現象です。しかし、若者の自立支援とは、学生の成人としての自立を妨げるものであってはなりません。環境を与える、整えるということが、逆に学生の自立を妨げている可能性がないか気をつけたいところです。

具体的な例をあげましょう。残念ながら私には子供がおりませんので、大学授業の中で親の成すべきことを考えさせられた例をひとつ紹介します。授業において私語をする学生の問題です。私の授業では私語を許しませんので、講義をしっかり聴きたい学生には授業評価アンケートでも幸いながら好評です。私語や爆睡する学生を教室から追い出したこともありますので、直接学生からも「良かったです!」「他の先生は放置状態なんです。」と感謝されることもあります。それを聞き、最初は私も悦に入っておりましたが、今は「ちょっと待てよ」と考え直しております。

というのは、こうした静かな授業環境を望む学生は、往々にして真面目で成績優秀な人物です。しかしその反面、タフさに欠ける、自分の環境を自分で整える力に欠けている可能性があります。本当に望ましいのは、もし周りで私語をして迷惑な学生が居た場合、教師や授業評価アンケートに書き込むのではなく、直接その場で、その学生に注意できる学生のはずです。これは、公共の交通機関で高齢者に自分の席を譲るというのと同じ感覚ではないでしょうか。(流石に電車の中で騒ぐ乗客には、相手をよく見てから注意した方が良いご時世ですが。)

与えた環境の中で、子供に自立のチャレンジをさせるのは、親にとっても大変な勇気のいることだとは思いますが、保護者の就職支援についても、まずはこうした本当の自立について親のスタンスを見直して貰うところが最初ではないかと思います。

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